俳 人
寺井弄船
寛保2年(1742年)秋、佐久間柳居は門人鳥酔の郷里上総地引村に仮寓して両総を行脚。寛保2年(1742年)、弄船は柳居に入門。 |
銚子の弄船へ 首途のねかひあまりや豆まはし |
明和3年(1766年)、白井鳥酔は加舎白雄を伴い銚子の名古曽亭を訪れている。 |
名古曽亭雨中聞物記并序 露柱主人著 名古曽亭は北総海上郡銚子湊藻友寺井氏弄船子か別舎也。其家累代漕に頼て業を成す。近世東奥磐城侯食邑の歳貢こゝに入津す。其藩中の倉吏年々来て出入の船を検校する事あり。 |
明和6年(1769年)4月4日、白井鳥酔は69歳で没。 明和6年(1769年)8月15日、銚子の宝満寺に鳥酔の句碑を建立。記念集『月のふた夜』(市石庵等編)自序。句碑は現存しない。 |
明和8年(1771年)5月23日、諸九尼は弄船を訪ねている。 |
廿三日 銚子にいたりぬ。瀬戸にミち来る潮の一すじ(ぢ)に成て、よのつねの入江より、一きハ景色お(を)かし。 さし汐の銚子にはやきみるめかな 弄船のぬしを尋けるに、心置なくもてなされて、舟路のうさも、道のあつさもわすれぬ。 |
安永2年(1773年)5月、加舎白雄は奥羽行脚の途上、弄船の青螺観を訪ねている。 |
銚子江弄船老人の青螺観にあそびて 入船の潮をはこぶ月夜哉
『白雄贈答』 |
入る鹿を招き返すか花薄 打かへす田より崩れて帰る雁 はつ雪やまた気のつかぬ梅に迄 筏師の気もうき行や今朝の秋 船引の子は曳るゝや鳳巾 隠れ家の人に曇るや菊の花 惠心寺を出替つて來て茶摘哉 行秋やこちらへ寒き鹿の尻 酔臥した枕もとから清水哉 青海苔や浪耕して海の味 空にさへ隣同士也鳳巾 海原に逃水のある汐干哉 うき艸や退ては影の嵐山 種ふくべたね入替て行秋ぞ 山さくらくらへる顔はなかりけり 蝙蝠の遊ぶ貴船の鳥居かな 若鮎や魚の二葉の群て行 たてかけしはゝきにや啼蟋蟀 百草の一度に薫る蚊やり哉 |