俳 人
国枝魯松庵
国枝長太夫。調固坊。美濃派(再和派)十三世道統。
寛政9年(1797年)、大野郡定松村(現:揖斐郡大野町定松)に生まれる。
天保(1830〜44)の頃からしばしば越後を訪れる。
安政4年(1857年)、「柳々舎」は
「芭蕉」の句碑
を建立。国枝魯松庵揮毫。
海に降る雨や恋しきうき身宿
安政5年(1858年)、
『友千鳥』
。
慶応2年(1866年)頃から新潟に住む。
明治8年(1875)9月30日、79歳で没。
岐阜県北方町の
西運寺
に「魯松庵」の碑がある。
碑陰に魯松庵の句が刻まれている
聞きなほす聲なかりけり杜宇
戸倉耕月庵
建立ともいわれる
芭蕉の句碑
がある。
むすふより早歯にひゝく泉か南
碑陰に魯松庵の句が刻まれている。
名にひゝく泉や徳のとこしなへ
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