嘉永4年(1851年)、播磨姫路に生まれる。本名は正夫。
明治33年(1900年)4月15日、三森幹雄は関西旅行に出る。27日、須磨に行き、瀬川露城を訪う。
明治40年(1907年)、無名庵十五世となる。
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長浜市の慶雲館に芭蕉の句碑がある。

蓬莱にきかはや伊勢の初たより
この句碑が建てられたのは、書家である露城が活躍した明治後期と推定される。
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大正4年(1915年)、大正天皇御大典を記念して花蔭会は芭蕉の句碑を建立。本廟露城書。
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古池や蛙飛こむ水の音
大正8年(1919年)12月、芭蕉の句碑を建立。露城書。

物いへは唇寒しあきのかせ
大正15年(1926年)、露城は堺を訪れ「文塚」の荒廃を嘆いて修復、記念に自碑を建立。
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はせを翁の文塚を拝するとき
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折からの経よみどりの老音かな 露城
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昭和3年(1928年)5月8日、78歳で没。
大津市の義仲寺に露城の句碑がある。
瀬川露城の句碑@

栗津野に深田も見えず月の秋
瀬川露城の句碑A

秋草をうゑこみて
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さまざまの露ひとむらのさかり哉
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神戸市須磨区の禅昌寺、須磨寺に露城の句碑がある。

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濃きうすきもみぢはいづれ寺の塵
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稲妻のひと夜冷して須磨の海
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大津市の芭蕉道統歴代句碑に露城の句がある。

涼しさの処を得たる小窓哉
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