元禄13年(1700年)、嵐雪は江戸から東海道を行き、吉田から舟で伊良古崎を経て伊勢に参詣、京へ行って都を見物している。『装遊稿』
元禄13年(1700年)、除風は浪花から船に乗り明石に渡る。嵐雪は餞に風呂敷を贈っている。
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浪花より船にのりて明石にわたる乘合あまたにて
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みしか夜を皆風呂敷に鼾かな
| 除風
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除風行脚のはなむけにふろしきをくるとて
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芝に寐は此風呂敷や枕蚊屋
| 嵐雪
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元禄14年(1701年)、『杜撰集』(嵐雪撰)刊。
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宝永4年(1707年)10月13日、嵐雪没。
一葉散り咄一葉散風の上
悼 嵐雪居士
なけく子も妻もなき野の霜嵐
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宝永5年(1708年)11月、嵐雪一周忌追善集『東遠農久』(百里編)刊。神叔跋。
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東京都豊島区の本教寺に嵐雪の墓がある。

墨田区の要津寺に供養塔がある。
嵐雪と二世雪中庵桜井吏登の供養塔

寛延3年(1750年)、『玄峰集』(旨原編)。
文政6年(1823年)10月、山崎碩茂は芭蕉の句碑を建立。

旅人登我名呼れ無者津時雨
嵐雪の句も刻まれている。
梅一りん一輪ほどのあたたかさ
愛知県犬山市の尾張冨士大宮浅間神社に嵐雪の句碑がある。

梅一輪一輪ほどのあたたかさ
長野県坂城町の会地早雄神社の芭蕉付句塚にも嵐雪の句が刻まれている。
芭蕉付句塚

散花に垣根を穿つ鼠宿
元禄6年(1693年)1月、「蒟蒻に」歌仙である。
埼玉県本庄市の安養院に「三俳人句碑」がある。

酒買に行くや雨夜の雁一ツ
| 其角
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ふとんきて寝たる姿やひがし山
| 嵐雪
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はつれはつれ粟にも似たる薄かな
| その女
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栃木県芳賀郡益子町にある春日神社の手水鉢らしきものに「芭蕉」と書かれた句が刻まれている。
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角力取ならふや秋のから錦
誤伝で、嵐雪の句であるようだ。
春日神社

栃木県芳賀郡益子町の旧家にある芭蕉の句碑の裏に嵐雪の句が嵌め込まれている。
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花に風かろく来て吹け酒の泡
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