俳 人

辻嵐外
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 幼名利三郎。通称は政輔。久村暁台高桑闌更五味可都里に師事する。

 明和8年(1771年)、敦賀に生まれる。

 寛政7年(1795年)、藤田の可都里をたよって甲斐に入る。

 文化14年(1817年)9月14日、可都里は75歳で没。

   哭葛里大人

翁を柱にとりて、今も此国にいきて遊ぶ事二十年。既に二十年のけふになりて、此柱むなしくくちぬ。長月中の五日、くさも木も、足腰も秋風にをれて、甲斐にもひとつ涙川ながれぬ。

うとましき時やうけらの花の時
   嵐外


 文政元年(1818年)5月、半場里丸は身延山詣でに出立。嵐外を訪ねている。

短夜の月やとゝのふ事はこれ


 文政6年(1823年)、藤森素檗の三回忌に久保島若人『素檗發句集』を刊行。嵐外序。

晩年は甲府柳町に草庵を結ぶ。晩年の俳号は六庵。

嵐外 甲府柳町三丁目 柏栄堂吉蔵裏   六庵嵐外


天保14年(1843年)、芭蕉の句碑を建立。辻嵐外書。



山路来て何やらゆかしすみれ草

弘化2年(1845年)3月26日、75歳で歿。

南アルプス市の成妙寺に「嵐外日哉の墓」がある。

成妙寺の句碑



笹の葉やいまに鶯としよらす

甲府市の酒折宮に辻嵐外の句碑がある。



月の雲々からさ岐に離れゆき

嵐外の句

あさ皃やひとつ咲ても秋の花


花もりは生れつきけり花守に


たやすくも時雨そめけり山の家


桑の枝させは柳の芽につるゝ


花なしとおもひきる日の牡丹かな


なでしこの咲とおもへばさかりかな


朝露やこぼれた儘におとなしき


桐の葉や日かずのたつた夏の月


麦かりを見るより早し麦の藁


はつ雪や浪につい居る都鳥


春の夜に細引を喰ふ鼠哉


霜の夜や甲斐に居なじむ膝頭


萩の花瀧本流の手本かな


桃のはな子供とゝもに折に鳬


霜の夜や甲斐に居しめる膝頭


人のしる人のわかくて花のぬし


八月や木を吹風に寂そむる


泥に身を捨たこゝろの巨(炬)燵かな


ほとゝぎす啼と思ひば夏の空


はるの夜に細引を喰ふねつみ哉


帋子きて俳諧もせずえびす講


八月や木を吹風に日のあたる


咲まては葉のゆるまらす杜若


十五夜の月に見へすや龍田姫


山陰や何々の墓ありて


ふきのとう何所て落たか苞はかり


老にけり火桶は顔をあふるもの


山の梅咲て小笹のさえさえし


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