寛文元年(1661年)、伊丹の酒造家上島宗次の三男として生まれる。名は宗適。別号仏兄(さとえ)。 |
8歳で「こいこいといへど蛍がとんでゆく」の句を作る。 16歳の時、西山宗因に入門。 |
延宝8年(1680年)、大坂に隠棲。 貞享2年(1685年)、芭蕉に先んじてして「まことの外に俳諧なし」と開眼。 貞享3年(1686年)、鬼貫は仕官のため江戸へ下る。 元禄元年(1688年)2月、鬼貫は伊丹を立ち、清見寺を訪れる。 |
春風や三穂の松原清見寺 |
元禄3年(1690年)8月、之道は幻住庵に芭蕉を訪ねる途次、鬼貫のもとを訪れている。 |
諷竹を東湖といひし昔の宅にて筒の花入に薄を入 て壁に掛たるを 此すゝき窓より吹や秋の風 |
元禄3年(1690年)8月30日、大坂福島村に移る。 元禄3年(1690年)10月、江戸に入り嵐雪亭に宿る。『鬼貫句選』(禁足旅記)想像上の旅だという。 元禄4年(1691年)、本多氏に鍼医として仕官。 元禄14年(1701年)2月25日、惟然は鬼貫居に3泊している。 |
二月廿五日惟然にとハれて廿八日京へ歸らんとい ふ時 止られぬ又きさしませ花ちらは |
元禄14年(1702年)秋、討入り前年に大高子葉は鬼貫宅に1泊した。 |
一日は鬼貫にとめられて |
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かく山を引たてゝ咲しをに哉 | 子葉 |
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月はなし雨にて萩はしほれたり | おにつら |
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「二ッの竹」
元文3年(1738年)8月2日、大坂で没す。享年78。 大阪の鳳林寺に墓碑がある。 上島鬼貫 墓碑 ![]() 僊林即翁居士之墓 伊丹市の墨染寺に鬼貫碑がある。 ![]() 明和5年(1768年)2月、『鬼貫句選』(太祇編)。
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弘化2年(1845年)8月、鬼貫の句碑を建立。 鬼貫碑と鬼貫の句碑 ![]()
![]() 鳥ハ未口もほとけす初桜 昭和53年(1978年)9月2日、「鬼貫翁240年祭顕彰句碑」を建立。 ![]()
鬼貫の句
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