俳 人

斎藤南々
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「大斎藤」と呼ばれた豪農の四代目当主斎藤安兵衛寿冨。久米逸淵の高弟。

南々 武州中瀬 斎藤安兵衛 届所   可布庵


南々 一号柿寿窓又柿園 武州中瀬 斎藤安兵衛

 明空や東風には早き雲はしり 南々


 享和2年(1802年)、深谷市中瀬に生まれる。

 文政6年(1823年)3月25日、南々宅で「ひょうたん競べ」を催す。

 天保12年(1841年)5月、芭蕉の百五十回忌で吉祥院に句碑建立。記念句集『蝉塚集』板行。



頓てしぬ氣しきは見えす蝉の声

 嘉永3年(1850年)、『去来伊勢紀行・丈草寝転草』(寄三編・南々校合)刊。逸淵西馬跋。

安政4年(1857年)9月22日、病没。享年56。

吉祥院に墓がある。

今は訪れる人もない。

南々の句

ひとすぢにかぎらぬ道や御忌詣


姉文女は耕雪と号した女流俳人。

耕雪の句

みだれたる後や久しき女良花


弟岩之助は河田家に婿養子に入った河田寄三。

寄三 一号不知庵 武州中瀬 河田甚平

 灯よりいそく日暮の炭火かな 寄三


 天保15年(1844年)、西馬は寄三と共に故郷へ帰る。

   この日頃草庵の火桶に鼻突合せつる両子故
   郷に春をむかへむとて、あはたゝしう旅立に、
   胸つふれてひきとゝむへきことの言もなけれハ

老ひとりとり残されて年こもり
   逸淵

行年や仮の旅寝も三千里
   寄三

   送 別

分つ手の間にあるや年の坂
   耕雪

寄三の句

けふの我こゝろを啼や呼子鳥


さし汐に水音とめるあつさ哉


露と見る名残のしものなこり哉


うくひすの来て鳴時を移しけり


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