俳 人
小沢何丸
何丸 江戸浅草田原町三丁目 月院社 |
十返舎一九の狂歌に「儒は太宰すもう雷電武士真田ソバに月見に一茶何丸」とある。 宝暦11年(1761年)、上水内郡吉田村北本町(現在の長野市吉田)で小沢治郎右衛門の長男として生まれる。 文政2年(1819年)、江戸に出て蔵前の富豪守村抱儀の援助で俳諧宗匠となる。 文政7年(1824年)、善光寺で俳諧大宗匠披露。 |
文政10年(1827年)、『芭蕉翁句解参考』刊。 |
明治元年(1867年)、上総千町村 (現:茂原市千町)の俳人起名庵金波一門は芭蕉の句碑を建立。 |
広き葉のくらべものなきはせをかな | 金波 |
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二条殿御代官月院社大宗匠 |
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蝶鳥やこころの底のなき晴て | 何丸 |
燕子花さくや世間はひとへ物 さみだれや百合のたぐひも花が済 帰るとてわるびれもせず雁の声 田の風や明る侘しき螢の夜 鶯を取てのければ枯木なり めつらしう豊後咲けり社日過 おさすとも明へき花の戸口かな 身をしらぬものこそなけれ虫の蓑 ふう替て蚯蚓きかうぞすみだ川 |