蕉 門
長山重行
元禄2年(1689年)6月10日(陽暦7月26日)、芭蕉は羽黒山を下って、重行の屋敷に入った。夜、曽良・重行・呂丸と「めずらしや山をいで羽の初茄子」の発句で、歌仙をまいた。 |
七日羽黒に参籠して |
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めづらしや山をいで羽の初茄子 | 翁 |
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蝉に車の音添る井戸 | 重行 |
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絹機の暮閙しう梭打て | 曾良 |
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閏弥生もすゑの三ケ月 | 露丸 |
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芭蕉は重行宅に3日間滞在し、13日に近くの内川船着き場から川船で酒田に向かった。 |
明治40年(1907年)10月26日、河東碧梧桐は鶴岡で長山重行について書いている。 |
奥の細道にある長山重行という人の宅で催おした歌仙も漸く吾仲著「初茄子」(享保丁未冬十月)によって伝えられた。 長山重行について古老の調べた処によると、幼名を佐太八、諱(いみな)を恒行というた。後に与右衛門(また五郎右衛門)と改めたが、重行はその俳名であった。あるいは竹戸という別号もあったらしい。重行は長山家の五代目に当る人で、その父五郎右衛門は最上家から酒井家に仕えて、武道歌道に通じておった。芭蕉とは江戸での智音であったらしい。その家の跡は今はかたばかりに残っておる。旧家であったと見えて、そこに長山小路という名が今に存する。 |
猫の恋通ふや犬の花の先 秋風や梢に蝉のあらたまり こぼれたる粟穂の雀あれへ飛 名月のかうして居たるおもしろさ 折たくはをれとや花の咲みたれ 鶯に雨をはらしてくれたふて 子規あとのまつりに雨が降る 名月はふり能(よき)馬をあゆませよ |