俳 人

藍沢無満
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 安永3年(1774年)3月4日、上小出村(現前橋市上小出町)に生まれる。

 通称籐右衛門。前号乙麿。別号乙満、蓼園。逆境にありながらも学問に心を向け、香集寺の寺僧は筆墨を与えたという。

香集寺


文化8年(1811年)、芭蕉の句碑を建立。


樫の木の花にかまはぬ姿かな

無満は松窓乙二、無耳庵蓮阿に俳諧を学ぶ。

文化文政年間、無耳庵蓮阿の句碑を建立。


ゆふがほの花のあたりはくれにけり

 天保7年(1836年)9月、高梨宣信は木曽三社神社に芭蕉の句碑を建立。藍沢無満書。


枯枝に烏とまりけり秋の暮

嘉永2年(1849年)、芭蕉の句碑を建立。


しはらくは華のうへなる月夜かな

安政2年(1855年)、蓼園社中は無満の句碑を建立。


   九ゝ翁

庵の蚤一跳ゝ(はね)て草の中

安政2年(1855年)、芭蕉の句碑を建立。無満書。


冬こもりまた寄そはむ此はしら

安政2年(1855年)、無満の歌碑を建立。


枝鳴らすかぜはみ山のおくも吹くよし世の中にみみやおほはん

安政年間、生方可交は無満の書で渋川市上白井に良夜塚を建立。


雲を里を里人乎休むる月見可那

良夜塚の左に無満の句碑がある。

無満の句碑


くたびれや花の明りにとくわらじ

文久2年(1862年)、鶴淵柳祖總連社中「芭蕉」の句碑建立。無満書。


一夜寝て寒さくらへむ草の庵

前橋市幸塚町に芭蕉の句碑がある。


風流のはしめや奥の田植うた

花鳥建立。藍沢乙麿筆。

昭和村森下の芭蕉句碑は乙満筆。


物いへは唇寒し秋のかせ

渋川市上金井の芭蕉句碑も無満筆。


このあたり眼に見ゆるもの皆涼し

門人に生方可交、小渕幻亜がいた。

元治元年(1864)10月29日、90歳で没。

けふきりの日と覚けり小六月

渋柿も仏の色や小六月

小六月は旧暦10月のこと。

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