俳 人

森川滄波

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通称吉郎兵衛。鳥明に師事。涵月庵。涵月楼。一葉菴三世。

可都里『名録帖』に「滄波平尾町 須賀屋吉郎兵衛」とある。

 寛保2年(1742年)、平生町で鬢付油商を営む須賀屋に生まれる。

 明和9年(1772年)2月、『文くるま』(白雄編)。竹雨舘呉扇序。涵月楼滄波跋。

 明和9年(1772年)4月、加舎白雄古慊・如思(斗墨)・呉扇・滄波と共に南紀吟行に出る。

 寛政5年(1793年)、芭蕉の百回忌に松阪の俳壇一葉菴社中が、翁の真蹟「待雪一句」を刻み、矢川の遍正院に建てたものが、何時の頃か来迎寺に移された。



左側面に芭蕉の句が刻まれている。

たわみてはゆきまつ竹のけしきかな

右側面に3人の句が刻まれている。

初雁や芦火に背く海人か顏
   一葉菴鳥醉

行秋や拭ひ柱におのか影
   二世呉扇

保つ保つと夏爐になしぬ
   三世滄波

文政5年(1822年)、81歳で没。

滄波の句

うくひすや今朝の雨戸の透まより


来る鳥に足をとむなと柳哉


行春やひとりせはしき水ぐるま


真似板の音かすか也花ざかり


梅か香や城へ汲込む水くるま


うめひと木ひと木づゝあり谷の寮


月澄や小路小路の小夜碪


のちの月うき世の八の聞へけり


鳩ほどにうぐひす見ゆる障子かな


長閑さやさはれば開く片折戸


凩やおもへはつよき鶴の脛


はつ暦彼岸を母に問れけり


白きものみな卯の花そ陽雀


うとからぬ鷹匠ひとり藪の梅


あさやかに見へてものうし夕桜


梅咲やよそにながるゝ天の川


ぽつりんとうつろに成ぬ炭俵


我宿は桐の木持て秋はやし


なかなかに夜こそまされ梅の花



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