俳 人

伊藤木児

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 名古屋の御目見商人。御糸屋彦六。名古屋京町に住む。各務支考仙石廬元坊に学ぶ。別号五条坊。三逕。不之庵。

 寛保3年(1743年)10月、芭蕉五十回忌で尾州大曽根成就院に「三日月塚」を建立。



有とあるたとへにも似ず三日の月

『諸国翁墳記』に「三日月塚 尾州大曽根成就院在 五条坊建」とある。

 延享3年(1746年)、大島蓼太は名古屋の五条坊三逕を訪ねている。

 寛延元年(1748年)、不之庵木児と改名。

宝暦13年(1763年)6月18日、75歳で没。

横井也有は追悼文を書いている。

悼五条坊文

六ゝ菴に別れ、反喬舎世をさりし其折々の傷(いたみ)ハさることながら、猶此五条坊の健やか、忍山かひなき其世のことどもをも、かたミにいひ出て老を慰むつまともなりしを、名に呼れし蕣のはかなき秋をだに待ず、此水無月の露と消し。惜むべし悲べし。松竹卒に齡を譲らず、桃李もとよりものいはず。そも我けふよりして誰れとゝもにかむかしを語らん。

   なき友に泣くや心の羽ねけ鳥

木児の句

涅槃會にはづれまひ迚燕かな


鶯の初音や藪に都あり


動てはのひのひ柳かな


梅はまた寒しと藪に初音哉


雲ひとつちぎりわけたり初時雨


壯嚴の飾りや秋の野も山も

鎌いるゝ田ごとの晝の光りかな


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