俳 人

五束斎木朶
indexにもどる

 吉田の宿屋現金屋長兵衛。名古屋の五条坊木児に師事。初号楚笠。後、五升庵蝶夢に従う。

 享保12年(1727年)、吉田宿魚町に生まれる。

 天明8年(1788年)5月1日、蝶夢は江戸からの帰途で木朶・古帆に会う。

五月朔、旦に嵩山正宗寺禅林を右に見る。ほど無、吉田城下に出る。松平豆州公。浜松より本坂越にして、舞坂・荒井を不通。木朶・古帆の風士に対して、方壺主は三日、和尚を送りてこゝにて別をおしむ。


 寛政5年(1793年)、芭蕉百年忌に「ごを焚て手拭あふる寒さ哉」「さむけれとふたり旅寝そ頼もしき」の両句を発句とする歌仙2巻を聖眼寺境内の松葉塚に供えた。

松葉塚


寛政5年(1793年)、『松葉塚』(木朶編)刊。古帆序。

 寛政11年(1799年)10月12日、芭蕉の句碑を建立。五束斎木朶筆。



芭 蕉 翁

京に飽て此木からしや冬住居

 寛政12年(1800年)7月26日、大江丸は江戸に出る途上、吉田宿で歌仙。

訪よらむまねくらんもの花すゝき
   大江丸

 かげも凉しき雨ハれの月
   石羊

ひやうし木もきぬたの中にこだまして
   木朶

 つい直段(ね)のなりしうしのうりかひ
   兎堂

こぼしてならぬ徳利の満願寺
   古帆

 湯女の情にいとゞみじか夜
   雪莚


文化2年(1805年)、『木曽路名所図絵』(秋里籬島)刊。



幣懸松 青野が原左の方半町許にあり、又青野の一本松ともいふ。

傳云朱雀帝の御宇、東夷平将門退治の時、中山金山彦大神に祓ましまして、幣懸松の名を賞せり。然るを世人熊坂長範といふ夙賊此ほとりに住んで、徒黨を集め、旅客を襲ひ、此松より遠見せし迚、土人熊坂物見の松といふ。古代の松正徳年中大風に倒れ、今存するは植継の松なり。

わる暑く吹くや一ト木の松の音
   はせを

大切の名をぬすまるゝゆきの松
   木因

君か代は鷹の物見や松の陰
   吉田木朶

『木曽路名所図絵』(巻之二)

文化7年(1810年)4月、84歳で没。

文化9年(1812年)、孫木芽追悼俳諧集『ひしのはな』刊。

木朶の句

山道や案山子見てから人恋し


散る梅の窓に灸の匂ひかな


白壁にしくるゝ影のうつる哉


陽炎や笑ふかことく墳の石


水鳥のかしら揃へる朝日かな


時雨会や国々の笠積かさね


枯枝や液雨こらへて鳩一羽


三上山しくれもやらて初時雨


雉子啼や山寺の門また明す


十六夜や鐘一声の夕間暮


立留る咄も春の月夜かな


一曇り枯野を通ふ根なし雨


春の月入江の水の匂ひけり


雲の峯月が出れバ黒くなる


さつはりとして十月の春そ春


曙や紙帳にかゝる竹の露


初霜を起て見てしるおろかさよ


俳 人に戻る