俳 人
松井三津人
文化4年(1807年)6月、三津人は耒耜と象潟を訪れる。『みつうまや』(三津人編)。 |
文政7年(1824)2月、大和郡山の俳人山路庵楳日は「境内ばせを時雨塚」の碑を建立。 |
三たびまで白菊画て捨にけり 鶏はかり起て居なり霜の家 奥山や戸の明たてに露がふる 遊ぶ夜をあまして侘る衾哉 鷄ばかり起てゐるなり霜の家 鶯の気にも入けり東山 霞ふむ鴎の口の乾き哉 八十八夜菊菜の花が咲にけり 雪解や夢こしらへる鉢たゝき 鶏の道も付たる清水かな 雁も来てきげんとるなり山の月 あけぼのや露も浮べきはつ鰹 雁も来てきげんとる也山の月 近江中夜の世の中月ひとつ 朝水の桶よなじみの郭公 玄鳥の来て初けり酢の小売 不断見て五月五日の柳かな 虫のなく中に大きな酒屋哉 |