蕉 門

生駒万子
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金沢藩士。名は重信。通称は伝吉、万兵衛。此君庵。

 元禄2年(1689年)8月6日、芭蕉は小松で万子に逢っている。

一 五日 朝曇。昼時分、翁・北枝那谷へ趣。明日、於小松、生駒万子為出会也。

『曾良随行日記』

 元禄8年(1695年)1月21日、万子亭で芭蕉の百ケ日追善興行。

   生駒氏万子興行 百韵アリ第三迄

泣そめし時つほみけり梅の花
   万子


 元禄12年(1699年)、浪化倶利伽羅峠を越えて金沢に行く。

倶利伽羅峠


十二日は例の金城におもむく、くりからの峠越るとて、

   梅が香にくらさもまじる山路哉

つばたの宿をはなれて、

   七種も過てあか菜の寒さ哉

十八日は此君庵にまねかれて、終日に風雅の高情をつくす。

鴬の爪にもかけず梅の花
   浪化

春の日さむき苔の色相
   万子


 元禄14年(1701年)、支考は万子亭を訪れている。

   万子亭

此亭に先師竹の畫賛あり。殊に忌日の供養にかけ給
へりしか、此あるしはさる事のよしみも侍りて、又
かけ物の前に例の泣て、

   人いつこ竹のさみたれ竹の月


 宝永5年(1708年)、『越の名残』(支考編)。此君庵万子序。

『諸国翁墳記』に「翁 塚 加州金沢在 万子建」とある。

「翁 塚」は所在不明。

万子の句

楽よ馬も蝉きく木陰哉


正月やかならず醉て夕附夜


手々にもつ菊とりかゆる別かな


雪の夜や火はともさねと石灯籠

   此君亭をつくりて

此庵もまた隣ありかたつふり


榾もえた余寒をあそぶ二夜哉


明日放す魚に酒酌ム月見哉


鼻声に鴾(とき)もあそぶや森の花


月の雲烏の啼は何郡


   さらしなにて

月のくもからすの啼ハ何郡


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