俳 人

早川漫々
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八日市場の医師安田多善。早川石牙の子。可都里の門人。

『諸国人名録』Aに「漫々 小原東 早川円橘」とある。

二百数十人の弟子がいたという。

 文化3年(1806年)6月25日、菜窓菜英は早川漫々を訪ねるが留守。『山かつら』

 文化6年(1809年)、石牙の十三回忌追善集『ふるしも』(漫々編)刊。素檗跋。

 文化14年(1817年)9月14日、可都里は75歳で没。

   其十 於黄楊門興行

臼杵もみな仏なり雪の庭
 葛里居士

ほそき匂ひをしぼる寒菊
   漫々


 文政元年(1818年)5月、半場里丸は身延山詣でに出立。漫々を訪ねている。

   石禾(和)川納涼

鵜つかひの目口こそくる夜風哉

わたりもりは息もつきあへす棹さすめり

風の香は人もまたくや夏の月

これはおとゝひの夜のことなり忘れぬうちにとて心みに書


文政13年(1830年)5月4日、56歳で没。

甲斐の漫々を悼む。終焉五月四日なれば

あやめ葺日にさへなれば泪かな


八日市場に漫々辞世の句碑がある。


ゆふ涼ミ生れかはらば何んに那る

漫々の句

とにかくに夜はあけかぬる落葉哉


宵々や行燈とりまく秋のかぜ


晝からの日はよく照てきくの花


しらぎくや木綿の虫の這かゝり


古草のつれてひらめく霞かな


春の海へながれ出たり都鳥


ちりつきてよい日になるやけし畠


茶もらひに来人々や萩の痩


遊ひたひ夜か重りて後の月


閑古鳥こゝろ長くもなく事よ


うめのはな一つみつけて閙しや


不沙汰して覗く処に梅の花


藁やねのふたつ春めく岡辺哉


春の海へ流れ出たりみやこ鳥


うぐひすやあらしのひまの一拍子


梅柳捨られぬ世が何処にある


鳥は皆啼ものながら涅槃の日


淋しさをうかうか寝たる桜かな


人なれぬ顔や田中に立柳


西に向てひがしに向て夏の夜や


柊はちらぬ花かもみそささゐ


暮の春宇治の橋守老にけり


道連に別れて多きさくら哉


漁火や波もかゝらぬ春の月


雷石は漫々の子。

明治16年(1883年)1月、芭蕉の句碑を建立。。



明ほのやまた朔日に子規

雷石の句

鶯もわたましまへか庭掃除


雷石の門人金滝小岱の句碑が観音山の麓にある。

物外は雷石の子。

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