俳 人

東旭斎
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 旭斎は東氏。名は胤孝。通称は善太佐衛門。江戸の大江由誓の門人。別号声画庵。

旭斎 一号□□ 下総佐原多田新田 東彦太郎

 杖笠も置て新茶の端居かな 旭斎


 文政5年(1822年)、下総佐原に生まれる。

香取市沢の真浄寺に芭蕉の句碑がある。


花下大明神碑

木のもとに汁も膾もさくらかな

明治2年(1869年)3月、建立。

 右側面に多数の俳人名が刻まれているが、その中に「声画庵旭斎」の名が見えるようだ。

 明治14年(1881年)、芭蕉の句碑を建立。


旅人と我名よはれむ初時雨

碑陰に旭斎の句が刻まれている。

ぬるゝ隙出来て老いけり初時雨

 明治15年(1882年)3月、声画庵旭斎一門は香取市虫幡の清水寺に芭蕉の句碑を建立。



観音の甍見やりつ花の雲

碑陰に声画庵旭斎の句が刻まれている。

   天 理

永き日や臼に成れとて植る松

旭市の八重垣神社に芭蕉の句碑がある。


先頼む椎の樹もあり夏木立

明治19年(1886年)10月12日、建立。

碑陰に旭斎の句が刻まれている。

世の中や時雨に染も二百年

 明治20年(1887年)10月、権少講義須田美静は芭蕉の句碑を建立。



時雨るゝや田のあら株のくろむほと

碑陰に声画庵旭斎の句が刻まれている。

刀根川や水は眠るに小夜しぐれ

 明治25年(1892年)3月、旭斎の寿蔵碑を建立。



碑の裏に芭蕉の句が刻まれている。

山路來て何やら床しすみれ草

明治30年(1897年)、旭斎は76歳で没。

門人に高岡逸叟がいる。

旭斎の句

鶯の糞おとしけり山折敷


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