俳 人
加茂国村
十二日 晴 国村 蒲生 高橋甚蔵
『享和句帖』(享和3年11月) |
文化14年(1817年)、『曽波可理』(巣兆自撰句集)刊。鵬斎・抱一序。国村跋。 文化14年(1817年)、国村は本道寺に淋山を訪ね、越年。 文化15年(1818年)2月16日、国村は出立。 |
約速(ママ)の染物出来ぬ霞かな | 国村 |
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行雲の誰かおしえむ花菫 | 同 |
『こまさらへ』(二編) |
文化15年(1818年)4月、平野平角の別墅梅園を訪れた。 |
はからすも吾今とし卯月八日のふれんの下より名のり入て、まつ主翁の無事を窺ひ、おさおさ昔におとらぬすこやかをよろこひ合、うれしさいふはかりなし。捨身獨歩をあはれみありて、しはらくもとゝまるへきことをゆるさる。既に主客の席を作て、日夜閑談に盡す。 |
ある日梅園に遊ひて |
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花香實の梅や朝茶となる處 | 國村 |
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『梅園日記』 |
文政9年(1826年)3月、『杉間集』刊。配本扣に「蒲生川岸 高橋玄蔵 国村」とある。 |
風花も降う氣しきの柳かな 行春や稚きものゝ草撰み 子規鳴や長者も真野のおく 暁るまの取ところなく霞けり 来るほどの人が蚕のにほひ哉 屑家には鼠も騒げ帰る雁 凩や小ぐらき昼の升落し 人聲や藪の中より銀河 稲妻や黄昏かけて有磯海 虎杖の背戸もふさがぬ紺屋哉 干る汐や松の居所も遠くなる 井戸端の豆腐に移る小蝶かな 安房(あほう)とは誰子呼らん花菫 阿房とハ誰子いふらん華菫 利根川に鴨のあけたる余寒哉 さふさふと水も汲れぬ桜かな 菜飯にはよきうつろひや春の山 初秋の風もとまるや松蘿(さるをがせ) を(お)どけても角力になるぞ宵月夜 鯉活す盥にさそふみぞれ哉 蟹の目のおろかにたつや五月雨 牛の背のよごれた秋やそばの花 稲妻やむぐらの宿の中戻り 鶴まねて戸口もあるに春の水 客人(まろうど)も間のあるやうに春の雪 白魚や梅田も芹のつみ所 いなづまや黄昏かけて有磯海 |