俳 人

戸倉耕月庵
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戸倉六之丞。魯松に就いて誹諧をまなぶ。再和派十四世道統。

 文化8年(1811年)、養老町大跡に生まれる。

40歳の頃、家督を女婿の六郎(竹圃)に譲り、専ら六墨の道に親しむ。

 嘉永7年(1854年)、獅子門再和派十四世の道統を継ぐ。記念集『蘭の加保理』

 安政6年(1859年)、耕月庵社中として美濃派俳諧水上道場草庵を再建。

芭蕉の句碑を建立。


むすふより早歯にひゝく泉か南

明治4年(1871年)2月16日、61歳で没。

明治10年(1877年)12月、戸倉竹圃は耕月庵の句碑を建立。



孝の徳世々になかれて瀧すゝし

岐阜県北方町の西運寺に「耕月庵」の碑がある。


右側面に耕月庵の句が刻まれている

降りそめし峰を忘れず殘る雪

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