俳 人

夏爐庵兀雨
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上州岩本の人。幼名雅輔。

上州渕ノ上の小渕南交と親交を結んだ。

 天明8年(1788年)、春秋庵の主筆となり、白雄の供をして武州毛呂の碩布亭を訪問。

 天明8年(1788年)、白雄に随い美濃口春鴻を訪問。

日光の大日堂跡に芭蕉の句碑がある。


あらたうと青葉若葉の日の光

つくつく詠つくつく思ふに

   あら尊うと青葉若葉の日の光

   たらぬ花たらぬ鳥なし宮所

            蓮花石大日堂碑あり
            鉢石觀音寺ニ碑あり
            江都兀雨建


 寛政10年(1798年)、春秋庵を去り、夏爐庵を設ける。

 文化7年(1810年)8月15日、兀雨は布引山で月見の句会を催した。

観音堂


布引の岩の白きを雨の月
   江戸
 兀雨

布引のぬの引さらせ雨の月
   田中
 指月

あいにくの雨の句会であった。

 文政2年(1819年)頃上田に移り、水翁と号した。

 文政7年(1824年)5月、碩布は「善光寺詣」の旅で夏炉庵水翁を訪ねた。

 上田の樹下夏炉庵水翁を訪ふに、主のそふりよくよく見れハむかしの兀雨坊なり

   花橘一花つゝの名残なる


晩年は下越の佐々木善兵衛宅に世話になる。

天保5年(1834年)3月28日、80歳で佐々木家に没す。

佐久市下越の長慶寺に墓がある。

かりそめに思ひし秋も夕べかな

兀雨の句

うき艸や蟹のはさみを逃ありき


はつ午の日ハ紅梅にくれにけり


人の世に多きは花と仏哉


妻なしのひとへ山茶花咲にけり


すたる水湛へて芹の匂ひ哉


居処に目のさす菊の十日哉


村雨の跡も日ながき四月哉


鵙啼て秋木がらしの吹にけり


よしあしをはなれし炭の匂哉


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