俳 人

越智古声

indexにもどる

備後田総の人。蝶夢の門人。風路。故眠亭。

可都里『名録帖』に「古声 同国田房村酒屋麦屋吉左衛門」とある。

延享3年(1746年)、備後田房に生まれる。

安永8年(1779)、臨川庵に「山里冢」を建立。

山さとは万歳遅し梅の花

『諸国翁墳記』に「山里冢 備後田房臨川庵アリ 古聲建之」とある。

 安永8年(1779年)3月12日、蝶夢は出雲行脚の途上古声を訪ねる。17日、古声は蝶夢と共に出雲へ。

 是より三次への間に、吉舎雙三郡吉舎といふ在名あり、後鳥羽院の隱岐へうつらせ玉ふ時、此里に宿らせ給ひて、よき舎りよと勅ありしより名とすとぞ、田房神石郡田總ちかくなりければ、越智何某梅下法師を伴ひて出迎ふ、此里にも芭蕉翁の碑を立けるが、けふしも忌日にあたれば、供養の俳諧を興行せんあらましにて、連衆の面々こゝの岨かげ、かしこの木のもとに、袴肩衣にて出迎ふたるは、にげなき心地ぞする、やがて臨川庵にて一座あり、かゝる山の奥までも、風雅の道の行わたりたる、翁の徳光のいたりなるべし、

 十七日、日ほがらかなれば、此家を出立に、あるじも出雲の方見ざれば送らんとて、從者に物荷はせていず、今は四人になりければ、行先たのもし、家の内の男女、一里の老若おのおのどよみて見送るぞ、山里の風のいみじきなり。


 寛政7年(1796年)12月24日、蝶夢は64歳で没。

 文政2年(1819年)、蝶夢二十五回忌に『はまちどり』(古声)刊。『雲州紀行』を収録。

 文政6年(1823年)、眠亭社中は庄原の宝蔵寺に芭蕉の句碑を建立。

古声の句

その度に思ひ出したる時雨かな


硯へもこほしてけふの時雨かな


をのつから灯火白し小夜しくれ


小夜時雨(※「雨」+「衆」)よくよくきけは音もせす


しくれ来て木の葉の赤き野川哉


東雲や鐘さまさまに時雨(※「雨」+「衆」)そふ


ゆふしくれ鐘のこたふる戸口かな


夜しくれや夢も木曽塚竜か岡


谷かけやまことのしくれ今そ聞


一筆の墨絵に似たり帰り花


時雨会や其角待るゝ僧のさま


初しくれ古人を友に寝ぬ夜哉


  幻住庵に記をよみて

今もなを猿の腰掛しくれせん


めのまへに見えて口をし春のゆき


俳 人に戻る