俳 人

〜湖光〜
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 石田津右衛門。別号巴水亭。屋号は桂屋。柏原の桂屋の親戚。野尻宿の脇本陣をつとめた。

歴史の旅北国街道野尻宿


 天明4年(1784年)7月29日、菅江真澄は野尻宿に泊り湖光に会っている。

こゝに泊りたる夕、俳諧する名を湖光てふ人訪ひ來て、

   月に鳴く虫の音暗し草の中

といふ句せりけるに答ふ。

   秋の花野をつくす言の葉

『来目路の橋』

 湖光の名が『知友録』に見られるから、一茶は寛政3年(1791年)には湖光を知っていたわけである。

同(信州) 野尻 石田津右衛門 湖光


 享和2年(1802年)正月21日、野尻の湖光、柏原の観国がやって来た。

廿一日 晴 野尻湖光、柏原観国来たれば、かのふや吉兵衛へ訪ふ。

『享和二年句日記』(正月)

 文化2年(1805年)11月10日、小林一茶は金令、湖光と春蟻を訪れている。

   十日 晴 金令 湖光 深川八幡春蟻訪ふ

『文化句帖』(文化2年11月)

 文化4年(1807年)8月6日、一茶は安源寺の小内八幡宮から渋温泉を訪れ、湖光、完枝と歌仙などをする。翌7日、湖光と郷里に戻る。

渋村、わく(たカ)や市左衛門に舎る。かねて約束なれば、先、湖光、完枝に逢て歌仙などす。

   即興

せい出して山湯のけぶる野分哉

小男鹿の水鼻ぬぐふ紅葉哉

七日、湖光とおなじく、きのふの道をもどる。二十塚といふ所より二人が在所見ゆ。

けぶり見へ(え)戸隠見へ(え)て肌寒き

『文化三−八年句日記写』(文化4年8月)

湖光、完枝は野尻の門人。

同年8月19日、一茶は野尻宿の巴水亭を訪れた。

   十九日 晴 夜雨 野尻巴水亭ニ入

そば所と人はいふ也赤蜻蛉

『連句稿裏書』(文化4年8月)

   十九日 夜 巴水亭会

   作らずして喰ひ、織らずして着る身程の、行先おそろしく

鍬の罰思ひつく夜や雁の鳴

『文化三−八年句日記写』(文化4年8月)

 文化9年(1812年)6月27日、一茶は野尻に入り、関之に泊まる。関之は一茶の門人池田十郎平。翌28日、石田に入る。

   [廿]七 陰 夜雨 野尻ニ入 関之泊

   [廿]八 雨 石田ニ入

『七番日記』(文化9年6月)

石田は石田津右衛門、湖光。

文化14年(1817年)4月23日、湖光没。享年未詳。

湖光の句

葉隠れの桜見付し蝶のさま


米河岸のかた隅もつやけしの花


尻がるにちどりも帰る朝南風(みなみ)


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