俳 人

植田古帆
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吉田札木町の富商植田七三郎。一蓬舎。高須麦雪の二男である。

 明和6年(1769年)4月、植田古帆、大木巴牛は聖眼寺に松葉塚を再建。

再建松葉塚


芭 蕉 翁

ごを燒て手拭あふる寒さ哉

 天明8年(1788年)5月1日、蝶夢は江戸からの帰途で木朶・古帆に会う。

五月朔、旦に嵩山正宗寺禅林を右に見る。ほど無、吉田城下に出る。松平豆州公。浜松より本坂越にして、舞坂・荒井を不通。木朶・古帆の風士に対して、方壺主は三日、和尚を送りてこゝにて別をおしむ。


 寛政5年(1793年)、『松葉塚』(木朶編)刊。古帆序。

 寛政12年(1800年)7月26日、大江丸は江戸に出る途上、吉田宿で歌仙。

訪よらむまねくらんもの花すゝき
   大江丸

 かげも凉しき雨ハれの月
   石羊

ひやうし木もきぬたの中にこだまして
   木朶

 つい直段(ね)のなりしうしのうりかひ
   兎堂

こぼしてならぬ徳利の満願寺
   古帆

 湯女の情にいとゞみじか夜
   雪莚


古帆の句

手間取て春におくるゝほたん哉

おし鳥やかはる淵瀬に住ミなから


さゝ啼に朝日ちらつく葉裏哉


霊山の春めくり来て此仏


けふの会や雲も粟津に幾しくれ


頃日のわか耳うとし小夜霽


時雨会や懐紙そめんもその雫


立茶売盃に散けり松の花


四五輪の夫もさかりよ石蕗の花


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