俳 人
岡野湖中
初代湖中は太田資胤。棚倉藩主太田資晴の次男に生まれ、水戸藩家老太田資真の養子となり、家督を継いだ。 別号葛松原人。其角の門人深川湖十に学び、其角の点印「雪月花」・「芭蕉葉」・「半面美人」を譲り受ける。 |
安永5年(1776年)3月2日、水戸藩士岡野重壽の二男として生まれる。 天明2年(1782年)、太田湖中は「湖中」の俳号と点印を近藤敬恵に伝える。 寛政11年(1799年)7月、近藤湖中は「湖中」の俳号と点印を岡野重成に譲る。 文化元年(1804年)9月12日、古学庵仏兮は甲斐の鰍沢で溺死。 文化5年(1808年)4月19日、奥羽旅行に出る。 文化13年(1816年)11月26日、古学庵仏兮十三年忌の供養塔を建立。 文政10年(1827年)、『俳諧一葉集』(古学庵仏兮、幻窓湖中編)刊。芭蕉の最初の全集。 |
生魚の至リし花の山家かな 人すまばくもりもやせん春の山 たゞ居ても暮る日なるを木葉散 はつ春の人とも見ゆる妻子哉 何とかやいへる山人のめでたりし 蟇、この扉をあるじとすれば、い づくまでも心かよはぬくまなし。 花の世や垣は結ずもあらまほし 鳰の子をそだてゝやれよ花真菰 花の人柳のかげに帰りけり たゝ居てもくるゝ日成を木のは散 はつ春の人とも見ゆる妻子かな 青柳に潜り込だる月夜かな 世のあかもつかづ(ず)五月の真菰草 めやすかれと作りたてしや雪仏 眼もはなも撫てかぶるや朝やなぎ 蝶ひらひら同し月日の中に居て 壁土に暮をしてを(お)く落葉哉 鍋の音するや隣も日みしかき |