俳 人

古帳庵


 本名は鈴木金兵衛。江戸小網町の豪商。古帳庵の庵号は「ふる帳類の買入れ」業によるようだ。

 天明元年(1781年)、現在の越生町黒岩で生まれる。

 51歳の時、商売を捨てて六十六部となり、約10年をかけて日本国中の神社仏閣霊場を巡拝して歩く。六十六部は六部ともいう。

 天保10年(1839年)4月25日、銚子を訪れ田中玄蕃方に1泊している。金兵衛58歳、玄蕃27歳の時である。

 天保11年から弘化4年にかけて、各地に句碑や順拝碑を建立した。

 天保11年(1840年)正月、佐倉市の国道296号沿いに道標を建立。



船 橋 四 里
   春駒やこゝも小金の原つゞき
   古帳女

成田山五里半
   立どまりたちどまる野や舞雲雀
   古帳庵

 天保11年(1840年)、越生の黒岩五大尊に句碑建立。



尊とさや動かぬ山の木芽立
   古帳庵

玉虫や小袖箪笥のはるの風
   古帳女

 天保12年(1841年)正月、東京都北区の王子稲荷神社に句碑建立。



苗代や飛鳥は滝の川つゞき   古帳庵

のぼる日に露のむ稲のはらみかな   古帳女

 同年3月、越生の津久根桜堂に句碑建立。



梅が香や見あぐる先も山つゞき
   古帳女

鴬に物申したき在所かな
   古帳庵

 同年、越生の弘法山麓に句碑建立。



苗代やこゝも越辺の川つゞき
   古帳女

此むらの長ふる家や高燈籠
   古帳庵

 同年6月、江の島の江島神社中津宮に句碑を建立。



いざこゝにとまりてきかんほとゝぎす
   古帳庵

ふた親にみせたしかつを生きている
   古帳女

 同年、銚子の豪商田中玄蕃、野崎小平次らに招かれ、円福寺に句碑を建立。



行戻り瓢(ふくべ)を冷す清水哉
   古帳女

ほとゝぎす銚子は國のとっぱづれ
   古帳庵

 天保14年(1844年)正月、金刀比羅宮に古帳女の句碑建立。



天の川くるりくるりと流れけり

あたまからかふる利益や寒の水

 天保14年(1843年)秋、伊勢原市の五霊神社に句碑建立。



江戸小網町 古帳庵
   奉納七五三曳の桜
苗代や滝の流れは神の水

小男鹿の声くもりなし大山寺
古帳女

 同年、10月、越生の黒岩五大尊に句碑建立。



不動滝

梅が香にのつと日の出る山路かな
   はせを

百五十忌(ももいき)や枯野に高し香けぶり
   古帳庵 買翁

天保14年(1843年)は芭蕉の百五十回忌。

 天保15年(1844年)正月、越生の黒岩五大尊に句碑建立。



のしめ着たみやまの色やはつ霞
   古帳庵

折もよし衣更しつ象頭山


 弘化3年(1846年)、越生の黒岩五大尊に句碑建立。



日本三社 五大尊明王

春もやゝけしきとゝのふ月と梅
   はせを

不動(うごかざる)利益尊し雲の峯
   古帳庵

此山の抑もよりは苔の花
   買翁

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