俳 人

白崎琴路
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敦賀美濃派の俳人。錦渓舎。

 寛延2年(1749年)、幾暁は琴路を訪ねている。

   錦渓舎の探題に

あと一羽まだ都なりかへる雁


 宝暦11年(1761年)10月、「鐘塚」を建立。



月いつこ鐘は沈めるうみのそこ

 明和8年(1771年)、二柳は大阪に定住。

   難波の春に御移りの由致安堵候

あしからぬ便りや浦も三つの朝   琴路

 素龍清書本『奥の細道』は遺言によって弟子の去来に譲られた。去来の死後敦賀の俳人白崎琴路の許に移り、現在は敦賀の西村家に伝えられているそうだ。

 「なみたしくや遊行のもてる砂の露」の真蹟短冊は白崎琴路から喜多村芝石、その子の作太郎を経て川上季石氏の所蔵となったそうだ。

琴路の句

長生の欲こそなけれもゝの花


初厂や難波も伊勢もおなし時


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