斯波園女

『菊の塵』(園女編)



宝永6年(1709年)、園女自序。武陽山人素堂跋。

壬申八月、神風やいせのふる郷をたちて、ふるき宮古のこゝにきたりぬ。その年も浪をいとあらたまの春をむかへて

   難波女に何からとはむ事はじめ

と賀してあそびき。その後あまたの句みきゝたるが中に、これかれ拾ひ求めて、さやかくやうらの月の月もやせましなど、いひおりける折から、芭蕉の翁たづねきまして

   白菊の目にたてゝみる塵もなし

と吟し出されしによりて、六々やがて巻をなしぬ、いくほどもなくて、此翁世をさりましゝかば、それもはやかぎりの序となれりける。

おもふにわが此道に入し初めは元禄二年の冬なり。あけの年の如月、かの翁とこゝの人曾良などひきゐきたらせしに、しかじかとつげりければ、翁よろこびて、いかならむことをもつゞりてよと、おせりたるに。

   花まてば時雨て殘れ檜笠

といひ出ければ、やがて脇の句附てたうべて、さらに

   のうらんの奧物ゆかし北の梅

といふ發句をさへきこへられしぞかし。されば此集はそれよりいまゝで、國々所々よりわが手に落し句ども、又みづからのをも、力のをよぶらむほどは、えりてわけて書のせて侍る。なをおろそかならむ事のありがちならんは、おもはずしもあらず、たゞかの人びとのこゝろざしに、いそぎてむくはまほしうこそ。

その女



白菊の眼に立て見る塵もなし
   芭蕉翁

 紅葉に水を流すあさ月
   その女

冷々と鯛の片身を折まげて
   諷竹

何にもせずに年は暮行
   謂川

小襖に左右の銘は煤びたり
   支考

みやこをちつて國々の旅
   惟然



余所までもさぞ九日や菊の花
   宗鑑

御定の外かやきくの増えい水
   宗因

白ぎくにうはの空なる銀化粧
   秋色

綿仲間はづれてそよぐ野菊哉
   桃隣

   住吉奉納のうち

成仲の松の祝ひをけふの菊
   その女
  カゞ
大瓶に菊の長者となりにけり
   北枝

   其 音

指に入る風はや寒し今日の菊
   嵐雪

名もしらぬ小草花咲野ぎく哉
   素堂
  
一つ菊ふたつ綿入れほのぼのと
   淡々

うちわたす仕丁屋舗の箱のきく
   青流

   秋草の吟

はつれはつれ粟にも似ざるすゝきかな
   その女

朝露のうらにと萩の使かな
   同



伊勢小町は見ぬ世の歌人、今の世のいせの國より園といへる女の、誹諧をわけて濱荻の筆遠き浪速の里にこゝろざしての、我に嬉しく、二見箱硯の海にうめて、氣のうつり行事艸をかけるに、おもふまゝにぞうごきぬ。過し光貞の妻、かい原のすてなど、花にしほみ、紅葉はちり世に詠の絶にしに、名をいふ月の秋に此人此ところに、しばしの舎りをなし、神風の住吉の春も久しかれとぞことぶきける。

濱荻や當風こもる女文字
   西鶴

   病中吟

御達者に星の歩みや小幡超
   渭川

小豆撰ル窓にまはるや鹿の妻
   謂北

冬は昔の冬、湖春にさそはれて正俊の宮に誓文祓にとまうで侍る。其廿日の祭ゆへあるにこそ、老翁の諸抄世に廣ごりて、市の寶となりぬ。就中湖月抄、明石の巻のことはり三とせになりぬ。足たゝずしてと、うらふれたまへる神心、思合て三郎殿に三寸を備ふ。

源氏もや季吟の家の夷講
   其角

 岸のむかひをさる塗ふち
   その女

雲は皆菓子箪笥から明初て
   青流



長屋割付られし人の、有明の月に酒賣不門とてなきあかしたり。

水窓の綱手もきるゝ氷柱哉
   其角

水窓は外より水を汲入、うちより水わさしたる中窓也。必水瓶の上にあけたれば、都の住居には見ず。是東國のせばき家のあらましなり。

   貞徳翁の姿を讃して

おさな名やしらぬ翁の丸頭巾
   はせを

   千 鳥

浦風や巴を崩すむら千鳥
   曾良

   貫之の梅に

梅か香や慮外ながらも旅づかれ
   その女

   旅たつとて

つばくらにしばしあづくる舎り哉
   仝

   花

落花枝にかへると見れば胡蝶哉
   守武
  大津
入相の鐘に痩るか山ざくら
   知月

日和よし牛は野に寝て山ざくら
   鬼貫

   菜 花

なのはなやいざ年寄せて小野の菊
   湖十

   奉納人麿

ありがたや花の硯も石見がた
   青流

   多田院にて

金にて鑄つべきかほやねぶの花
   その女

別鹽の棹を渡ルや夕すゞみ
   貞佐

   神祇 すみよしにて

けふ來ても何の傳受か夏神樂
   その女

   寶晋齋のもとに馬おりし侍りて

霜やけも不二の光の心まゝ
   その女

 有やなしやの蕪をふところ
   其角

にの重い水を色紙に廻らせて
   秋色

 鼠も竹を渡る閑に
   青流



  追加

ある日反古とり出して、いついつの懐帋なとなつかしき中に、この神路山の句ひとつふたつを得たりけり。より出ひて又句々ども作りてはしに加え侍る。

   神路山

何の木の花とはしらず匂ひ哉
   はせを

   天岩戸

尋入岩戸のおくや桃の花
   尚白

   文 庫

此ほとり僧はまれなり初櫻
   とこく

   宇治橋
  イセ
川上は花もまばゆき入日かな
   斗從

   御裳濯川

濱萩の次の日見する栢哉
   その女

   佐久良の宮

むづかしき拍子は見へぬ神樂哉
   曾良

   西行谷

山ふかみ休む背負やことし米
   青流

山ふかみ赤ひ鶏頭や瀧のかぜ
   その女

山ふかみ木通やほどく竹の道
   渭川

   二 見

千代能にいたゞきつれよひじき賣
   その女





難波津の園女、俳諧の集をゑらびて、其尾に予が詞を求らる。我いまだ其人を見ず。其集のおもむきをしらずといへ共、ふるき世の共芭蕉翁に聞て半面をしるに似たり。かつ彼翁草の枝を巻のはじめにかゝけで、さらぬ草々をまじへ侍りて、菊の名を呼なるべし。

先予が聞及びたるは、勢州山田のなにがし赤ゑもん妻、東武に虎女、好女、大津のうらの乙州が母、かい原のすて、かつら男ほゝにも入やねのやの月と詠じけるは名高き八千代なりけらし。しかはあれど、此道の物定めとなりて、集をゑらぶなどいふことをきかず。園女はまことに奇異の人なり。

武陽山人 素 堂

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