俳 人
無外庵既白
宝暦9年(1759年)、江戸・奥羽行脚の旅に出る。象潟を訪れている。 |
象潟を小舟に棹さしてながめやる。絶景のほかに鳥海山の雪、雲の峰にまじりて、浪間に影を浸せば |
象潟や舟の下行雲の峰 | 加州小松雲納既白 |
『旅客集』仁(第4冊) |
宝暦9年(1759年)、『菰一重』(既白編)。雪中庵蓼太序。 |
宝暦13年(1763年)、芭蕉の句碑を建立。 |
宝暦13年(1763年)、義仲寺の時雨会に参列。 |
蝶夢ほうしにいさなはれて湖南にまかり、故翁の碑前にぬかつき侍りて |
行脚僧 |
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まほろしの花や夕日の片時雨 | 既白 |
明和元年(1764年)、『千代尼句集』(既白編)刊。藤松因序・半化闌更跋。 明和元年(1764年)、伊勢に遊ぶ。 |
無外主人をとゞめて |
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イセ山田 |
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我宿は秋風あらく露寒し | 樗良 |
既白法師の(ママ)再会をよろこびて |
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イセ津 |
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一年に二度見る顔や冬至梅 | 二日坊 |
明和2年(1765年)4月6日、内山逸峰は見風宅に泊まり既白に会っている。 |
六日、今石動を出て行に、砺波の関路の跡ちかきあたりといふなる所に、藤の花のさかりなるを、 自ら人をとゞむるゆかりにもむらさき匂ふ関の藤波 こ宵見風子にやどる。既白といへる法の師にあふ(う)て、 思へども筆にはいかで杜つばた心の色をそふることのは かへし 墨染にそぐはぬ色や杜若 既白
『草稿 西国道記』 |
明和2年(1765年)、既白は江戸へ行脚。 |
北越の既白叟、ことしは鎌倉山の懐古に、阿仏の杖の細みをたどり、長明が笠のやれをしたひて、墨の袂やしぼられけん。なお(ほ)武江のかり寝は、我雪中庵に錫をかけられしとぞ。 |
明和2年(1765年)8月20日、既白は千代倉家を訪れ芭蕉の笈を見ている。 |
八月十九日 晴天 今夕加賀金沢既白師ト云誹人東店へ泊。千蔵行。歌仙一折有之。 八月廿日 雨天 既白師今日名古屋へむけ御立の由。本家へ寄笈拝見致度よし。千蔵見せる。 |
既白法師へ夜邂逅して、翌の日雨ふりけるに、別れを告られける。留錫不駐。 |
杖錫のいかにぬれたき露時雨 君栗
『千代倉家日記抄』(学海日記) |
明和2年(1765年)、『蕉門むかし語』(既白編)。蓼太・蝶夢序。 明和4年(1767年)、加賀を去って大津の幻住庵に滞在。 |
幻住庵 |
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冬の日のちからや野路の水けふり | 既白 |
既白乙兒蘿來つゝいて古人と成し七月六道の珍篁 寺にて 誰も來よかれもとかなし迎鐘 |
秋たつや草に持こす宵の雨 臘八や宵のあかりハまよひ物 ほとゝきす見もせぬ雲や此別れ わか艸や花をおもへは摘おしき 六条に汐も焼かとおほろ月 畑中の桑にかけたるあはせ哉 秋や立うらむがごとき松の風 とぼし火は麓にくれて桜かな 藻の花やかざしてあそぶ魚は何 老労の身のわり□□都にはあり□あ りなから その会にもあはつ□過る時雨哉 夕くれの見世覗きして団扇哉 川風に烏帽子かゝへて御祓(みそぎ)哉 日にぬれし椎の葉色や初しぐれ 芦わけて千曲に涼し舟後光 短夜[や]止んとしては橋の音 |