俳 人
菅沼奇淵
奇淵 難波鉄玄寺前 大黒庵 |
寛政5年(1793年)、奇淵は桜井の吐雲邸を訪問している。 |
狩くれてつかれ臥夜の夢も花 |
寛政7年(1795年)10月12日、奇淵は再び吐雲邸を訪問している。 |
かんな月十まりふつかといふ日 泊瀬三輪のわたりにあそひて 花薄さ野ゝわたりの雪と散れ |
寛政8年(1796年)頃より毎年、浮瀬亭で松風会を営む。 寛政12年(1800年)秋、芭蕉「松風碑」を建立。 |
文化5年(1808年)、多賀庵玄蛙を携え住吉大社に参詣。 |
人々にたつさへられて住吉の神詣しけるに正印殿といへるに昇ていともかしこきミ有さまを拝む |
文化6年(1809年)、南御堂前の芭蕉終焉の地で花屋庵を営む。 文化7年(1810年)12月12日、一茶は奇淵と文通。 |
[十]二 晴 森田納 大坂花屋庵文通
『七番日記』(文化7年12月) |
菊の香やあすは十日の雨もよひ 萍の實もとゝまらす秋の水 鶯の物にかまはぬ初音哉 白露の菊よりしぐれはじめけり 鶯のはつ音にさはる柳かな ふたり出みたり出つゝわか菜摘 まツ風のひまや芒のあらし山 阿波土佐や磯はなまこの星月夜 時雨より先に門さす山家かな 蚊屋を出て遊ぶ所も八重葎 嵯峨山や夜寒のための小菜陸田《毛》 蚊帳を出て遊ぶ所も八重葎 格別の咲所なる菫かな 名月の道作り居からす哉 春の雪去年の雪汁澄しけり 橿の木のあるに任せて冬籠 柳から見ればちい(ひ)さし親の家 庵の柴雪の覚悟はなかりけり さみだれも日ましに成ぬ野菜売 咲日から草木とは見ぬ牡丹かな 雨の景ひとかど持や麻畑 山の根を倦すにもとる若葉哉 芦萱の夜寒覚へて年のよる あつはれな茶師に打れし椿哉 遅桜茄子はきのふ喰ひけるに ほとゝぎす膝のあたりの夜の景 梅の木に花の付ても秋のかぜ |