俳 人

曲直庵亀文
indexにもどる

常陸太田の人。武弓氏。江戸に出て俳諧宗匠となる。

 亀文は江戸で買い求めた文台を小沢芝六に贈った。麦の走り穂とほととぎすの絵に「郭公まねくか麦のむら尾花 はせを」と自画自賛したものだそうだ。

 天明7年(1787)、『曲直庵亀文古稀賀集』(桂阿編)刊。

曲直老人、七十初度の賀にあはせてあらたに家つくられしを

なつ桃に老せぬ門とたづねけり


 天明8年(1788年)10月12日、松風庵玉斧は芭蕉の句碑を建立。曲直庵亀文書。

芭蕉の句碑


丈六に陽炎高し石の上

 寛政元年(1789年)10月12日、也鳧庵一艸時雨塚を建立。曲直庵亀文書。

時雨塚


旅人と我名よばれむはつしぐれ

 寛政2年(1790年)6月、八龍神社の拝殿に「柳塚奉納」句額奉納。

 藤高う山鳥の尾も下りけり    東武  亀文

寛政9年(1797年)、没。

亀文の句

名月や我か乗る影もうさき馬


凩や吹広けたる僧ひとり


鳥か啼くあつまに多しほとゝきす


凉しさや寄て網うつ松の陰


葉桜や鐘楼を洩る日の薄き


背くゝまり花見て廻る牡丹かな


俳 人に戻る