俳 人

伊藤鷄路


本名修。医師。二月庵と号す。

可都里『名録帖』に「鷄路南部花巻医者」とある。

寛延元年(1748年)、花巻城下に生まれる。

天明年間(1781〜1788)に「芭蕉翁之碑」を移転建立。


右側面に芭蕉の句が刻まれていたそうだ。

木のもとはしるもなますも櫻かな

 寛政6年(1796年)9月18日、平野平角の別墅梅園に句を届ける。

此日、花巻鷄路坊より文來り、句論あり。尤風雅にいちはやき人なり。句は

見すもかな花野は人の老を吹
   鷄路

風はしる藺の枯株や後の月
   同

此國の産とてとたんを贈らる。山いろ鐡屑の如く、和賀郡仙人山より出るよし。

『梅園日記』

文化12年(1815年)、67歳で没。

「芭蕉翁之碑」の右に伊藤鷄路の句碑がある。


満月を輪にめぐり鳴く千鳥かな

文化13年(1816年)1月3日、建立。

鷄路の句

朝かほの夫さへ風に裂れたり


風筋や梅さくかたの朝ほらけ


夏川や蜷にすみきる水の垢


萩ふせは藜(あかさ)さわくそ夜も昼も


松風も琴の音もありかんこ鳥


我おもふ山の栗やくしぐれかな


なでしこのもて來て秋のあつさかな


芒ほどさむい物なし手を切て


撫子のもてきて秋の暑かな


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