俳 人

大里桂丸
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銚子の豪商大里庄次郎富文。海産物問屋、利根川廻船問屋を営む。

 銚子小浜の素封家宮内太郎左衛門の実子で、行方屋に養子に入り6代目を襲名。

俳諧師恒丸葛斉から一字を貰いうけて、恒斉と号した。

 文化13年(1816年)、桂丸は「成美始書句帖」を浄国寺に納めている。

同年11月19日、成美没。

 文化14年(1817年)5月28日、小林一茶は桂丸を訪れ、翌29日に桂丸の案内で外川までやってきた。

外川漁港


   九 晴 外川昔此所三千軒アリシ[ト]云 今礎所々有

『七番日記』(文化14年5月)

6月1日、小林一茶は桂丸、李峰と共に浄国寺を訪れた。

浄国寺


一 晴
 南風 辺田浄国寺登望西台


 桂丸 李峰同

『七番日記』(文化14年6月)

 文政3年(1820年)、『椎柴』(桂丸編)刊。豊島久藏跋。

 文政8年(1825年)7月15日、渡辺崋山は銚子を訪れ、大里桂丸に会っている。

こはこの里に名おへる一場のすき人にて名を桂麿といふ。予が海上(ウナカミ)にたゞよひ游(べ)るを、あはれとおもひそめて、とひいたれるなりき。

『刀祢河游記』

弘化2年(1845年)4月、浄国寺に芭蕉の句碑を建立。



枯枝にからすのとまりけり秋の暮

同年7月25日、63歳で没す。

浄国寺は桂丸の菩提寺である。

浄国寺の芭蕉句碑に桂丸の句が添えられている。

あきの夕誰が身のうへぞ鐘が鳴る

桂丸の句

   戸川浦

姫百合の蜘蛛にまかるる暑さかな

からからと小慨よするや春の海

『七番日記』

衾きれは夢はうき世の裏を行


網干の集る門の清水哉


わたくしに手も添られず牡丹散


ふすま着れは夢は浮世の裏を行


盆過やきのふの日さへ遠くなる


夕鰺の鰭に晴けり富士の山


道野辺の草のくみあふ皐月哉


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