俳 人

滝沢可候
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 長野県上水内郡三水村毛野の門人、滝沢善右衛門重郷。上高井郡高山村紫の久保田春耕は弟。母いくは柏原の中村平湖の姉妹で、可候は二竹のいとこ。

信州毛野 滝沢善右衛門 可候


 可候の名が『知友録』に見られるから、一茶は寛政3年(1791年)には可候を知っていたわけである。

平成17年10月1日、三水村は牟礼村と合併して、飯綱町になった。

 文化4年(1807年)11月9日、一茶は毛野に入る。13日、一茶は善光寺町で滝沢可候の分家に泊まる。14日、一茶は長野市川中島町の南原で可候と別れた。可候は南原まで送ってきたのである。

その日は上田原町の河内屋甚八に泊まる。

   九日 晴 毛野ニ入

   十三日 晴 善光寺滝沢ニ泊

   十四日 晴 南原にて可候に別る

雪の山見ぬ日となれば別哉

上田原町 河内屋甚八泊

『文化句帖』(文化4年11月)

「上田原町」は、現在の上田市中央。

 文化7年(1810年)5月17日、一茶は郷里の柏原を前に毛野村の可候宅に泊まる。

   十七 晴 毛野村 滝沢に泊

『七番日記』(文化7年5月)

 文化10年(1813年)6月18日、一茶は善光寺桂好亭で癰(よう)を病む。7月9日、可候がやって来る。

   九 晴 可候来

『七番日記』(文化10年7月)

8月24日、可候より布子が来る。

   廿四 晴 可候ヨリ布子来

『七番日記』(文化10年8月)

布子(ぬのこ)は木綿の綿入れ。

文化14年(1817年)10月2日、59歳で没。

可候の句

五月雨やひたと匂ふは何の花


春風やどう吹れても人の皃(かほ)

『七番日記』(文化10年2月)

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