俳 人

国井化月坊
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 岩手竹中家の家臣。本名は義睦、通称喜忠太、号は梅仙・春香園・山戸亭。

 寛政6年(1794年)2月、垂井町岩手に生まれる。

 文化6年(1809年)2月21日、江戸詰めとなる。

 天保13年(1842年)9月、道場菁莪堂開設。「文武之師役」を仰せつけられ、柔剣槍弓の術を指南した。

 安政2年(1855年)、垂井町の本龍寺に時雨庵を建立。

 安政4年(1857年)5月、64歳の時に獅子門(以哉派)十五世を継承。

 安政5年(1858年)5月、武蔵の国熊谷の旗本高刀氏所蔵の木像を譲り受け、時雨庵に納めた。

 文久2年(1862年)、岐阜県関ヶ原町の常盤塚に芭蕉の句碑を建立。『秋の風集』。



義ともの心耳似多里秋乃可世

碑の裏に春香園の句が刻まれている。

げに風の音も澄みけり秋の松

 文久2年(1862年)9月、剃髪して、化月坊と称す。

 元治元年(1864年)3月、岩手菩提の白山神社境内に芭蕉の句碑を建立。



此山の悲しさ告よところほり

 慶応2年(1866年)3月20日、大垣御坊において、大垣の文寿坊其兆(大谷市郎右衛門)に道統十六世を譲った。

明治3年(1870年)12月17日、77歳で没。

京都の永観堂に句碑がある。


影もにほふかと思はれつ梅に月

垂井町の本龍寺に化月坊の句碑がある。


一二丁笠わすれたる清水哉

  垂井町の菁莪記念館に化月坊の句碑がある。


月のあと残した藪の梅白し

常盤塚に春香園の句碑がある。


その幹に牛もかくれてさくらかな

笠松の名所「四季の里」に化月坊の句碑があったようだが、今はない。

花こゝろさまして雪のほとゝぎす

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