俳 人

一無庵丈左房


岸氏。烏明門。闌更と親しかった。7年ほど奥州を行脚。

 寛政5年(1793年)、『奥のしほり』(一無著)。

 寛政6年(1794年)5月、丈左房は文知摺を訪れて句会を開催し、芭蕉の句碑を建立。



早苗とる手もとや昔しのぶ摺り

 寛政7年(1795年)9月、俳諧八僊歌』(連桑庵律大編)。一無庵丈左序。

 寛政8年(1796年)1月28日、丈左は松坂の本居宣長を訪れている。

同(正月)廿八日来ル
一、京高倉小路一無庵丈左 俳人

来訪諸子姓名住国聞名諸子

 寛政10年(1798年)1月、一茶は丈左の発句で巻かれた歌仙に参加している。

あらましに大和は見つれ春風
   丈左

 小櫛うづむる丘の暁
   一茶


 寛政11年(1799年)11月17日、丈左から一茶に「九月十八日出摺もの入一通」が届く。

つらつらと水が行也朝寒み

 文化3年(1807年)9月25日、一茶は田川で丈左坊と再会。

廿五日 晴 到田川 京再会丈左坊

『文化句帖』(文化3年9月)

文化年中に没。

丈左の句

明星に花立すさむ葵かな


火の燃る方へ秋鵜の歩かな


何にせん銭一からげ冬ごもり


春の心花ちる夜よりからびたり


かゝる日のまことしくるゝや月なから


かきつはた咲て近江の月夜かな


白きものは骨髄白し秋の花


稲妻のけはしくかゝる枯枝哉


梅が香の三ヶ月明り山下る


ちかづきのやうなり春の朝ぼらけ


稲つまのはけしくかゝる枯枝哉


行燈に降るや二月の夜の雨


むさし野ハまた青草に秋の月


一しくれぬれて葉のなき梅嫌


十月や日ぐれ日ぐれの西あかり


起出よけしの朝露消ぬうち


さし向ひ居るや川洲の秋烏


秋来ぬと覚へぬ蚊屋の起心


ちかづきのやうなり春の朝朗


草の戸ハぐツぐツ汁に春の月


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