俳 人
除 風
備中倉敷の真言宗の僧侶。初め嵐雪の門人。のち支考門。別号南瓜庵。一夜庵。百花坊。 |
元禄11年(1698年)5月8日、各務支考は除風庵を訪れている。 |
狂客三人除風庵にこみ入。あるじの僧は外にありておどろき歸る。そのよろこび面にあらはれて、心ざし又他なし。 |
元禄13年(1700年)、除風は浪花から船に乗り明石に渡る。嵐雪は餞に風呂敷を贈っている。 |
浪花より船にのりて明石にわたる乘合あまたにて |
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みしか夜を皆風呂敷に鼾かな | 除風 |
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除風行脚のはなむけにふろしきをくるとて |
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芝に寐は此風呂敷や枕蚊屋 | 嵐雪 |
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元禄13年(1700年)、助叟は除風庵を訪れている。 |
除風庵にあそひて |
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冷汁の草を見立る庵かな | 助叟 |
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元禄13年(1700年)8月、『青莚』(除風編)刊。諷竹序。 元禄16年(1703年)、讃岐に行脚。 宝永元年(1704年)7月15日、南瓜庵の傍らに「千句塚」建立。 |
宝永元年(1704年)9月、『番橙(ザボン)集』(除風編)刊。 宝永元年(1704年)、『千句塚』(除風編)刊。許六序。自跋。 宝永2年(1705年)3月、魯九は長崎に旅立つ。南瓜庵を訪れている。 宝永3年(1706年)、山崎宗鑑の遺跡である讃岐観音寺の一夜庵を再興して定住する。。百花坊と号す。 |
新佛の箔のひかりや梅の花 うくひすの足にやこハき松の肌 鉢いるゝ家は犬ありもゝの花 鶯の終になかぬがあれを聞きや 湖上落花 うつ波に花のよするは寄るはの 咄しきく中に鼾や朧月 やま吹やふしきに是は道かない |