俳 人
栗庵似鳩
明和8年(1771年)の冬に行脚の途中、那波郡蓮沼村(伊勢崎市上蓮町)に住し、「喰つみは秋もてなさん軒の栗」と詠んで庵号を栗庵とした。 |
安永7年(1778年)8月、『栗庵句集』刊。 安永8年(1779年)春、『せりのね』刊。 寛政元年(1789年)5月、似鳩は中山道を上洛の途中、露白のもとで病臥し20日間滞在した。 寛政4年(1792年)3月18日、八幡山(本庄市児玉町)を訪れる。 寛政4年(1792年)10月17日、栗庵似鳩は和田峠を越えて下諏訪の高島城下に着き、藤森素檗の家に泊まっている。 |
夕べ近ければ何某素檗を訪ふ。年歳(としどし)行脚の杖を廿年斗、家うち人の厚情をかさねて、あたかも親属にひとし。やれ足の湯まいらセ、先寒かりなん巨(炬)燵に入よ、と浅からぬ饗に旅の労を忘るゝ斗也。 |
寛政5年(1793年)、芭蕉百年忌に芭蕉の句碑を建立。栗庵似鳩筆。 |
寛政6年(1794年)、似鳩の後見で不動尊境内に句碑を建立。 |
寛政7年(1795年)、記念集『萩のふす満』刊。 寛政8年(1796年)4月17日、常世田長翠の小蓑庵を訪れる。 |
秋雨や蛙鳴やむ夕より 春の暮湊に鯛のなき日かな 夏雲や冨士より晴て三保か崎 重ね着に小春の暑さ寒さ哉 世のさまやひかんの市の古仏 世の秋や桐ちり初てちり果す 東風にいとミ雪や降来ん海の鳴 世のさまやひがんの市の古仏 紅ばたや花さくころの筐うり てり砂や礒はわか葉のうき根茨 春の雪消際竹にうち見たり 日に倦てなつの花鳥おもはるゝ 何気なや菜はとうたてど小田の雁 さみだれや蔀吹入る松葉のけぶり きりぎりす鳴や小藪のかいまがり 切立の衣に僧の花見かな 伊勢か家の俤草や釣しのふ 閑古鳥鳴かた見れは江の柳 旅の身も夜長になりぬ草の露 ひとむらの草よりのほるほたるかな ほとゝぎす待たぬ心に定たり 沙鶏(ぎす)売にきけば嵯峨野は糸芒 |