俳 人
山本以南
安永4年(1775年)、木兎坊風石は象潟行脚の帰途出雲崎を訪れている。 |
出雲崎には国の暁台も行脚也とかねて |
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聞しも、佐渡へ渡りしとて逢す |
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雲のみね浪にもよせるなかめ哉 | 木兎 |
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日もおちかたに薫り来る | 以南 |
八雲たツ出雲崎なる以南風叟に玉くしけふたゝひ |
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まみえ侍りて爰に故人の情を尽す |
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爰以南亭に一夜舎りて立出る |
今はとゝせばかりに成ぬらん、越後国の誹諧法師以南といふものありけり。国々あまよひ歩きて、都にしばらく足をやすめける折から、脚気といふ病をなんやみける。させるくるしみは見へ(え)ねど、「ふたゝびもとのやうになりて、古郷に帰らん事おぼつかなき」などより添ふ者のさゝやきけるを、ふと聞つけつゝ、かくありて日をかさね月をへて、見ぐるしき姿を人々に指(ゆびささ)れんも心うしとや思ひけん、ある時、 天真仏の仰によりて、以南を桂川の流にすつる 染色の山を印に立おけば我なき迹はいつの昔ぞ と書て、そこの柳の枝にありしとなん。 |
箒目も崩さぬ庭やはるの雨 みじか夜やけうとき飯のたきならひ 荊棘なすながれのうへのつらゝ哉 あじろ守画んとすれバうごきけり たきつせにあらそひかねて霧晴ぬ 雨雲のしどるにのころ暑かな いくたひか炭焼けふり見るはかり |