俳 人

知二斉椅彦
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魚津の人。各務支考の門人。岸本屋藤右衛門。

 明和2年(1765年)の春、支考から芭蕉が常に持ち遊んでいたという小貝を譲り受け、これを埋めて小貝塚を建立。堀麦水書。



 享保6年(1721年)、露川は門人燕説を伴い魚津を訪れて歌仙を巻いている。

   歌仙一折      魚津
  居士
末座から諫言申す野菊かな

青貝壁に秋しらぬ家
   倚彦


 享保12年(1727年)、廬元坊は美濃から越前・加賀・能登・越中に俳諧行脚。

   魚津 短哥行

行秋の故郷へ蔦の錦かな
   椅彦

 夕日の橋を横に雁かね
   里紅


路通の真筆が魚津の倚彦に伝わる。

   此一巻ハ路通の真筆にして越中魚津
   倚彦と云る者の家珍なりしを予行脚の頃
   写し来りて今爰に現す


椅彦の句

浮雲をひきさく音や郭公


   月ノ山ノ有明

有明の宿は留守なし月の山

山吹や散日の顔も水の世話


ほとゝきす明て見たれは聾谷


尼寺や翡翠に恥る濯き物


蘭の香や蒜(にんにく)の香はかれて行


ぬれながら穴掘熊や夕時雨


有明や堂を高根に居り替り

見減して戻すな月は姨が友


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