俳 人

塩足市山


通称宇左衛門、名は清瑞。志太野坡の門人。

 貞享元年(1864年)、竹野郡塩足村の大庄屋の家に生まる。

 正徳2年(1712年)、志太野坡に入門。

 正徳5年(1715年)8月10日、野坡は市山の丈日同にて歌仙。

 享保元年(1716年)冬、野坡は久留米の西与の許に足を留め、塩足市山邸に長らく滞留した。

 享保4年(1719年)冬、野坡は市山邸を訪ねる。

 元文5年(1740年)1月3日、野坡没。4月14日、野坡の百カ日に「如来塚」開眼供養。

如来塚


 元文5年(1740年)1月3日、野坡は79歳で没。

 元文5年(1740年)5月頃、塩足市山らは野坡追悼の「むすび塚」を建立。



市山の句

御婢の身の高ふりやさくら狩


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