蕉 門

十里庵哺川

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箱崎の俳人。哺扇。甫扇。松月庵。十里庵。

踏かゝる水のにこりやひろかしハ
 十里庵
 哺川


 元禄10年(1697年)、上京。『染川集』(哺扇編)刊。諷竹序。

 元禄12年(1699年)、哺川は、博多に滞在していた去来から芭蕉の辞世の句を贈られた。

   去来子にわかれしとき

みのむしのついても行ん旅の袖


 元禄13年(1700年)、枯野塚を建立。野坡書。



芭蕉翁之墓

 元禄16年(1703年)3月12日、哺川の十里庵で歌仙興行。

   三月十二日 十里菴興行
    野坡
春雨や松の隣の枯野塚

箒の先におとす山ふき
   哺川

うしの子を追こむ小村長閑にて
   未雷


 元禄16年(1703年)、哺川の十里庵で野坡送別の句会。

   十里菴にて福岡の
      連衆もよほされ留別の会あり

行春や座はかきさかす松露取


 宝永元年(1704年)、『枯野塚集』(哺川撰)刊。採荼庵杉風序。嵯峨野去来跋。

正徳3年(1713年)1月3日、没。

「枯野塚」の左手に「哺川菴主之墓」がある。

哺川の句

目一はい正月したる野梅かな


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