| 信伊那郡
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伯先 | 伊那部
| 吉川昌玄
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宝暦6年(1756年)6月、伊那部の医師吉川養玄の長子として生まれる。
明和8年(1771年)、江戸に出て医術を学ぶ。
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姨捨の月を見に旅立つ。『姨捨紀行』。
天明4年(1784年)、上穂(駒ケ根市)に在住。5月、白雄は呉水を伴なって伯先を訪れる。
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伯先をとふとて伊那の郡にわけ入三句
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つゝ鳥や岐蘇のうら山きそに似て
| | 白雄
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うき雲や道に白樫かむこ鳥
| | 呉水
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天明5年(1785年)、芭蕉の句碑を建立。加舎白雄書。
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同年春、南箕輪田畑に在住。
箕輪の郷に居を卜して
蛙啼て閑をこゝろむあみ戸哉
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天明6年(1786年)、記念集『葛の葉表』刊。自序。白雄跋。
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寛政3年(1791年)、山寺村(伊那市)に住む。
寛政9年(1797年)、『祭くさ』(伯先編)。
享和元年(1801年)、井上士朗は鸞岡亭に泊まっている。
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鸞岡亭夜雨
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水鶏啼て夜はひたひたとあはれなる
| 士朗
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時鳥杖笠もてど啼て来る
| 鸞岡
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みじか夜の早瀬にかゝる朝日かな
| 伯先
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享和元年(1801年)、『つきよほとけ』刊。虎杖序。さがみの春鴻及び伯先跋。
享和元年(1801年)秋、中村伯先と山寺連は芭蕉の句碑を建立。鈴木道彦書。
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身に新ミて大根からし秋風
享和2年(1802年)、法界寺住職正阿らは芭蕉の句碑を建立。中村伯先書。
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さゝれ蟹あしはひのほる清水哉
享和2年(1802年)、倉田葛三は伯先を訪ねた。葛三来訪記念集『あられ柿』刊。
享和3年(1803年)6月7日、露柱庵春鴻は71歳で没。
享和3年(1803年)9月、追善集『寢覺の雉子』(伯先・雉啄編)刊。
文化元年(1804年)、『香組艸(かぐみぐさ)』(伯先編)。自序。秋暮葛三跋。
文化6年(1809年)4月、里朝の発起で芭蕉の句碑を建立。伯先書。
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兎も角もならてや雪の枯尾花
文化14年(1817年)、伯先の後見で唐木唱古と大野田瓢馬は『宇女末従利(うめまつり)』刊行。
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文政3年(1820年)8月23日、65歳で没。
蕣齢は伯先の三男。
『俳人住所録』に「蕣齢 伊那部山寺村 中村玄三」とある。
文政4年(1821年)、蕣齢と伯先門人は伯先の句碑を建立。

三尺の雪のうへ照る月夜哉
天保13年(1842年)、『伯先発句集』(蕣齢編)護物序。
刊行は果されなかった。
安政6年(1859年)、蕣齢は64歳で没。
伯先の句
声かなし暴風にたちしよるの鶏(鶴)
桴木にあはれ蝸牛の行方かな
閑居
出る日もうとしあみ戸は雲に霧
はるかぜや嵐をへたる松かしは
姨捨山にて
名月や千曲の夜霧越の雲
鐘つきの腕に桜ちる日かな
さひしくも桜ちりこむ嬰児籠哉
わたり鳥人むつみなき世なりけり
秋のこゝろあき風に吹こされたり
梅多くふくみはしめし林かな
此宿は梅をあるしの匂ひかな
春の風うめよりふくれはしめたり
梅は梅の香にあらたまる月夜哉
露の萍(うき)菴のあハれにならびけり
うぐひすに草の香をしる野風哉
菴の落葉我ふむ外に音もなし
落葉たく夜は月花のにほひ哉
庵に世を忘んとすれは雀の巣
永き日の庵の守する菴かな
啼雲雀御嶽に靄のかゝりけり
時鳥雪に糞する御嶽哉
満月にかゝりて牡丹さきにけり
早稲の香に君が代の月詠めけり
さりながら牡丹もちけり草の庵
落葉たく夜ハ月花の匂ひ哉
散る花や泥に埋るゝ舞あふぎ
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鸞岡の句
かげろふやもゆるが中のうつせ貝
山寺や児も小沙弥もこのめつむ
きじ啼や尾崎の畑の麦五寸
行舟や苫に散いる磯さくら
鶯やおもふ所に薄ふとん
宵闇やほたされ牡丹ちる
なからへぬ心か鷹のぬくめ鳥
宵闇やほたされ心牡丹ちる
寒きほど若葉が上の月夜哉
松風に行あたりけり春の月
むめか香に人なき谷の泉かな
鴨鳴てやかて時雨るゝ庵かな
ひとツ家にとりついて降時雨哉
かざし行扇のうへや峰の月
鴬にかたまりもせぬ雀かな
朝すゞめ機嫌になれば雪の降
漢河露とくたりて明し夜歟
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蕣齢の句
旭かげ牡丹にみこす草はなし
畑中や梅ばかり成家の跡
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