文化6年(1809年)3月1日、小林一茶は高藏寺に泊まる。 |
一[日] 晴 高蔵寺白老泊
『文化六年句日記』(3月) |
文化8年(1811年)6月11日、一茶の木更津滞在中に白老がやって来た。 |
十一 晴 松緑館ニ入 白老来ル
『七番日記』(文化8年6月) |
一八 晴 高蔵祭 廿三 晴 入山門 廿四 雨 観音セガキ
『七番日記』(文化8年7月) |
文化9年(1812年)4月6日、一茶の富津滞在中に白老がやって来た。 |
六 大晴 白老来
『七番日記』(文化9年4月) |
はせを |
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やかて死ぬけしきはみえず蝉の聲 |
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何わすれ草あかあかと咲 | 白老 |
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むら雨の臼十ばかり月さして | 一茶 |
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秋のはじまる番袋かな | 老 |
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文化10年(1813年)、白老は高藏寺に芭蕉の句碑を建立。 |
文化14年(1817年)5月20日、一茶は白老と馬橋へ。 |
[廿] 晴 白老とマバシニ入
『七番日記』(文化14年5月) |
僕秋の比奥羽の杖をめくらし 猿が島に来りて其境に入て先ツ 翁の安否を問ふに、卯月の末身 まかりぬと里人の告ける故胸塞リ てことばなし。其門に入て其孝子に 逢フに忍ひす、躊躇して漸々に 入リ相対して涙をふるひぬ、あまりに 愚痴の恥かしきに終に其墳に まかりて又時をうつしけるが 何と哀傷の心をつくす べきや 土くさく成まで露をなかめけり 唐きびも闇の涼のたより哉 いやさうに枯芦そよぐ日暮哉 閑古鳥啼や其樹も墓しるし いやさうに枯芦そよぐ日暮かな 白露や門の小橋に名のほしき 下戸になり躱(かわ)せて柳見歩行歟 馬の尾もながめられけり夏の月 象潟や菫のたねは誰が蒔た 世はあれのこれのとて菜が花になる かへり花水は冬にて流れける 七十のいてものみせん土竜うち 散花や凡夫ざかりの笑ひ声 |