岩間乙二
『箱館紀行』
文化7年(1810年)6月22日、松窓乙二は弟子の真柄太呂を伴って白石を立ち、盛岡で平野平角の許に滞在。8月20日、箱館の布席の招きにより盛岡を立って箱館に向かう。 布席は斧柄社二世。陸奥国伊達郡山崎村に生れる。本名吉田清兵衛平重貞。別号雁来舎、楳窓。 |
哀れ何所にかさすらへ侍らん、身の程かくすには山雀のこならで、筥舘の布席がもとにしく事あらじと、去年より來よといふ谺をしるべにして、蝦夷が千嶋へ押渡らん志しを起しぬ。馬の上にて琵琶ひく事もしらねば、ゆく道のうさをもなぐさめんとて、同行の太呂が腰に篳篥をさして、立出で侍るに、人わすれずの山もあとになりて、 かねて聞くつゝ鳥ながらこもり聲 なみをこゝろのかたびらの皺 太呂 |
此處をもすぎて、野邊地及古がもとにたづね入りぬ。爰は入海の空をうけるうまやのはじめなり。横もまぢかきあたりにて、 一日來て松みぬ磯や秋寒み |
田名部熊谷氏は諸邦にひろく、巨萬の良材を船にてのぼせあきなふ家にて、ことしも此のあたりかの檜山より森岡の東門馬をかけて、土ヶ山に杣頭をはじめ、杣ども二百餘人をのぼせりときく。 |
雲霧はれのく時は、手とゞくばかりにみゆれど、天とぶや雁を使にと願ひし人のごとく、せめてはこゝに我れありとつげんにも、せんすべなくて、 おもふにも波をしをりの月夜かな おなじやどりに、さぬき、阿波、肥前、むさし、大畑、松前のもの集まりて、酒のみ居たる中へ、けふは重陽なり、是をもて鬮(くじ)にあてゝやませのふく日をうらなふべしとて、二色の菊の枝を紙にまきかくし、つき揃へたる本をかなたへさしむけて、 待つ事のみじかしきくの白きかた |
よべかりそめに降出し雨の止まずふるに帆をおろし、碇をおろして筥舘のうち山背とまりにとまりぬ。誰かしらせたるにや、布席、草裾、來車をはじめ、人々竹筒・檜破籠をのせて、漕ぎくる迎への船に乘りうつり、ひとりひとりに酒くみかはして、日さへ良夜といふ日、ふたゝび逢ふ老いの命の嬉しさに泣けば、おのおの渡海の恙なきを賀して泣きぬ。とかくして楫取るもの等がいざといふ聲に隨うて、ゆくゆく山も行くに、ひつじ過ぐる頃、雁來舎に入る。やゝ醉色の顔にのぼりぬれば、しばらく遊仙の枕をあつるうち、例の人々また集ひきたりて、ちしまの空あかくなりぬといふ聲に驚かされて、眼さむるに、住みにし跡も床しければ、 斧の柄の朽ちてもあけな月今宵 潮のわく音地ひゞきす。始めて筥舘にわたりて聞くこゝちす。 既望(もちづき)の闇や至極に念の入る 間にかゝり居る中に、心覺えのみよしも見えずなりて、 菊の日に逢はで往きけんつくし船 うしろの山をたいらめたる上に亭あり、一貫といふ。柱に一筋の糸の琴をかけて、數株の松風をひく、園は綿里先生の芋あり、簫翊逸士の菊ありて、主翁の高尚を見るにたれり。夜に入るけはひに、盃の遅きを訟ふる客なく、さらに幽趣を添へて歸る事をわする。 露白し徑をめぐる火影まで 雨露のめぐみあめよりくだらずば、何をかは家の營えにせん、松高根にたゝずば、いかでか千とせをかぞへむ、この日壽延につらなりて、とこしなへに童顔のめdwたきをみるも、雨露のめぐみよりはじまり、松の千とせにかぎりなかるべしというて、佳升仙が耳順をことふく、 熨斗むきものぞく門とて日の遅き ひと日草裾がもとにて、 不足なく夜に入るものやうめの花 神無月十一日翁忌逮夜 墨つけて翌日をまつべし旅ごろも 軒もる月、椎傳ふ雫は、かねて雁來がうれしと思ふ寂栞なれば、わするまじき祖翁のこの日、をののえ鷺納の人々とともに、笠打着て旅に出でし楳窓にかはりて、此の忌をつとむ。 行方を守れしぐれの歩行神 稱名精舎蘭號上人に申しおくる、 御寺さぞあすの風どもちる木のは 今朝ふりしあられの、日のくれちかくまで消えずあるをみて、 をしげなく玉はあられに降りける歟 駒峯雪をつらぬきて寒く、つらなる山々も遠からず立ならべば、 霜の葉もおなじ根山の朝ぼらけ 七面山鷄冠峰などいふ山ふかく分入る事ありて、 枯かづらまたもあらしの吹きかはる 斧柄に年を迎へて、閏きさらぎのころは、松前青標老人の方へ、うつらんとおもふこゝろあれば、 置ざりになるとも知らず春の来る 彌生二日斧柄より松前へゆく船出す、茂邊地(もんべち)の沖過ぐるころ、しほのみち乾き早く、磯際のぬるみにかけて漕げといふに、漕ぐ事叶はずたゆたふ。船の□に帆あしとるもの、殘らずえいさあえいさあと大聲をあげて舷(ふなばた)をたゝくより、かぢとる老いをはじめ、乘合の人々一同に板子さし板をたゝきさけびぬ。哀れはやしと立ちあがりたれば、はた尋ばかりもあらめとおもふくぢらふたつ、潮ふきあげ大波を起して、筥舘のかたへ行過ぐるにぞありける。かくすることをなさゞれば、近付きて船をくつがへすこと侍りといふを聞くに、おそろしくてそゞろさむけたちぬ。猶ゆくほどに追風(おひて)海とゝもになぎ、靄ふたがりにふたがりて、けぢかくうかび居る鳥の、羽色もみえわかずなりにたれば、梶をめぐらして日くるゝほど、札狩といふ磯にかゝり、藻屑日の影さす軒にうつる。 鯨みて雛見ぬ家にとまりけり えびすとはくぢらをあがめていふこと葉とぞ、三日四日と出もどりして六日とゞまるにこちやくといふ草の、淺漬の香、くろき飯の色ひ、胸につかへて眉のうへさへおもく覺ゆ。八日のあしたよき空のけしきなりとて、寢まきふすまやうのもの小船にて運ばせける時、 春の夜の夢にもみしが帆ごしらへ うれしき事限りなしと、おもふおもふ五里ばかり行くに、かぜかはり浪あらけ立ちて、脇本といふ漁家(れふか)にやどりを求む、こゝはやねよりして、壁の替りに蘆茅からみつけて、つぶりのさはるほどの口あり、茅もて引きよせ戸まうけたるかたはらに、竹の筒をかけ置きたり、何ぞと尋ね侍るに、蚫が鼻の崎を東に、小田西をにしに小船をうかべて蚫つく時、浪の上にしたでゝ、海底をあきらかにのぞむ油を入るゝ具なりといふ。また妻なるものゝ苅(わかめ)もて來りしが、 雫せし今朝の眼にあり燒わかめ 安す安すと萌えこむ草や家の中 潮さゐの響き枕を動かし、袖を這ふしらみ、蚯蚓の徹す鍋の底、なべて哀れを旨としたる處なり。こゝにも二夜ありて、あくる十日のあした船を出すに、やませ程能くふきおくりて、午時ばかりに思ふ方の懐璧樓にいたり着きぬ。 海棠や咲きてちる日の日記かく 青標老人にさそはれて、日々杖のむく所にあそぶ。 晝の月春はへるともおもはずや さくらに彌生の晦日も過ぎて、星左が客舎にうつる。 何となく子の日うれしき袷かな ある日妙蓮社にまゐりて 、 置く露のそれにもまつや時鳥 短か夜の哀れをみする木の間哉 松府の人々、予がくつをれし病躯を養ふ迚、粥煮る所藥爐置くところの外に、疊八ひらをまうく、ことに懐璧樓主の、春より培ひ水そゝぎし黄と白との三株づゝ、能登の七尾の酒樽ふたつに植ゑかへて、今宵過ぎなば、この菊とゝもにかしこへうつるべしとすゝむ。 あすからはこゝも斧の柄後の月 乙國をなぐさむるひとつの句を、つくりて送らんとするに、はかなく眼にそふものは、かげろふと影と、まぼろしと、 夜戸出にも待人あらじ爐のほとり 翁忌の二日ばかり前より、木ごとに花咲きて、此の地の世に異なるは、ふたゝび來し老が身の、坐ろ寒く、頓てしぐれしも、ちかきむかしのやうすなり。けふのみの魂を招きて、あるじぶりは春窓亭也。 雪ふみて往てころぶなら像の前 筥館への歸路、知内山中左右のみねみねの、きびしく重なりせまりたる間の、四十八瀬を道にしてゆくに、 紅葉せで散るや梢のあるかぎり あやめふくけふに成りければ、素月尼におくる。 是さげてならも見にたて粽二把 |
こゝ地そこなひて、重陽の宴にも無言の人に似たりしが、まをし出でぬもくやしければ、二三日經て。 祖父(ぢゞ)が菊山にも戸にも咲きにけり ヲロシヤの人六人、ラソウの人ひとり、くなしりといふに漂着せしを、はこだてまで、陸路(くがぢ)三百里の間をめしのぼされぬ。背の高き事皆六尺有餘にして、長途のつかれにや、汐風に吹きからさるゝ濱松のなみ立てるが如く、野口より歩行よりして市井入來るを見る。 かまきりの手あしよ髪は古蓬 むかしかくや姫は、夜な夜な月をみて、あめより迎への期のせまるをなき、ことに予は春より病める身を、よろづうちまかせて、むねを術なくやませたる人々に、みとせありしけふの別れを泣き、あはれ老躬のふたゝびたいめすることの、かたかるべしとおもうて、海山のけしきをはじめ、船路なれど、馬のはなむけするひとりひとりのすがたまで、したしく眼にとまりて。 あさがほに立出づる身は木槿かな |