俳 人
栗本玉屑
青蘿の門人。栗の本二世。通称は僧観応。別号は無夜庵。13歳の時、江戸に出て玄武坊に学ぶ。中頃、京都に住む。 |
寛政元年(1789年)4月12日、南あわじ市の願海寺に扇塚を建立。 |
寛政7年(1795年)、江戸を出て奥の細道の旅に出る。 |
別玉屑 はるの草心さぶさを抱きけり |
寛政9年(1797年)、『青蘿発句集』(玉屑編)。自序。成美序。 寛政9年(1797年)、『霜のはな』(石人編)刊。玉屑序。 文化5年(1808年)、多賀庵玄蛙を送り、石山寺の旅店に泊まる。 |
玄蛙叟の東行を送りて石山寺の旅店にとまる |
石山や露もたのます飛ほたる | 洛 | 玉屑 |
文化12年(1815年)2月17日、人丸山下に芭蕉の句碑を再建。 |
文政3年(1820年)、播州加古川の光念寺住職を務めた。 |
花と咲く秋も小草(をぐさ)にかるゝ哉 春の旅草の枕もおぼろ月 > 散こゝろいたきて暁の桜かな 朝鷹の羽にうちかへす余寒哉 初霜やあはれを盡す草の上 春もはや山風とけてうす霞 引汐のはてなく霞む海邊かな 凩や枕にさゆる山の鐘 草に木にうこく心の春辺かな うぐひすの声海山にみどりせり 紅葉たく門は日暮て北時雨 引汐の果なく霞む海辺かな 此今宵見るにあまりて船の月 明安き夜を淺澤のかきつばた 竹植てありつく寺の男かな 春や行雲たちかへてほとゝぎす 藝あれバ猿も正月小袖かな 子規それぞと見れば山の鐘 雪あられ子にハをしへな鉢叩 梅が香の地にしむ時歟啼蛙 秋のほたる啼はいかなる草の露 淋しさは螢どころのよるの雨 雨風に空さたまりて飛つはめ 淋しさやほたる所の夜の雨 此さとによくも老たり瓜つくり |