俳 人
岩波午心
天明7年(1787年)9月7日、蓼太没。完来に師事。 天明8年(1788年)、午心と改号。 寛政12年(1800年)8月、大江丸は江戸に下る。 |
ゆめかとぞふたゝびむすぶ袖が浦 | 大江 |
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我に正しく父在(おは)す秋 | 雪中 |
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月のしもつめたき熟柿火にあてゝ | 牛心 |
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(午) |
享和元年(1801年)、江戸浜町に住み、柳下と称し、葎雪庵を名乗った。 亨和2年(1802年)2月25日、芭蕉百十年忌で亀戸天神社に芭蕉句碑を建立。 |
悼午心 世にありてのたのしさと、なくてのたのしさといづれ。 |
とても行道とやさきも花のとき |
安からぬ世や足つかふ浮寝鳥 散にけり咲かけにけり只花盛 死たしと思ふ日ハなし盆の月 暁を野ら巣ならめのちの月 雪の野やかくろひかねて松の雉子 しらぬ人の折てくれけり山桜 芒野や穂に出さうなる家計 名月や晴ての後の気くたびれ 旅ごゝろ椎の嵐に削らるゝ 高瀬から焚さし貰ふ寒かな ゆれあふてけふも暮けり春の海 名月やはれての後の氣くたびれ 待宵や仏もしらぬひぢ枕 見し鐘をやどりに聞や春の月 宵はいふて十八粥を忘れたり 物着よと子を呼ぶ門や秋の暮 名月や晴ての後の氣草臥 榛のやミ立ならふほたるかな 庇洩る日に事たりて宿の春 春の夜の闇は袂をさらぬなり 霧くさきもの焚明の船渡かな 名月や晴ての後の気くたびれ 名月や誰が軍(いくさ)してすみだ川 |