俳 人

竹雨舘呉扇

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一葉菴二世。

 元文4年(1740年)頃、呉扇は江戸で柳居の門に入る。

 延享3年(1746年)7月、白井鳥酔は松阪を訪れ、呉扇の世話で一葉庵に入る。

 爰に菴あり。一葉庵と呼ぶ、これ也。烏翁延享のはじめ長途の遊袋をときてあるじしたまふ。其折にふれし名なりとぞ。


 明和8年(1771年)秋、加舎白雄は松阪を訪れ、鳥酔の遺跡一葉庵に入る。

 明和9年(1772年)2月、『文くるま』(白雄編)。竹雨舘呉扇序。涵月楼滄波跋。

 明和9年(1772年)4月、加舎白雄古慊・如思・呉扇・滄波と共に南紀吟行に出る。

安永9年(1780年)、呉扇没。

九月十七日、伊勢の呉扇老人身まかりけるよし、師が五組系のひとりなるをや。それのみかは、一葉菴の古へ、なつめ菴の明くれ、何か心なき人はしるらめ。十月十七日人々とゝもに追善の席をまうけて。

組そめし糸よかつらよ霜悲し


こがらしに酒桶たゝく隣かな
呉扇

   こや鳥酔居士の撰み申されしいつくみい
   とのうちなるみたりなり


 安永9年(1780年)10月12日、大磯の鴫立庵に芭蕉の句碑を建立。呉扇の句が刻まれている。



友五人けふハ櫻に暮にけり

 寛政5年(1793年)、芭蕉の百回忌に松阪の俳壇一葉菴社中が、翁の真蹟「待雪一句」を刻み、矢川の遍正院に建てたものが、何時の頃か来迎寺に移された。



左側面に芭蕉の句が刻まれている。

たわみてはゆきまつ竹のけしきかな

右側面に3人の句が刻まれている。

初雁や芦火に背く海人か顏
   一葉菴鳥醉

行秋や拭ひ柱におのか影
   二世呉扇

保つ保つと夏爐になしぬ
   三世滄波

呉扇の句

蕣や露と答す咲て居


能因を待戀にして啼蛙


波わけの曲望まれて柳かな


梅咲や枝も朝日にあまるほと


鴬や竹の隠者の友ゑらひ


巻て行く水をたはねる柳哉


大原女のけふもかざしてつゝじかな


夕顔の花見て居れば暮にけり


行春や水はひがしへながれけり


余念なく背中あはすや花さかり


寐過さじあまりにふかき


白波や鶚(みさご)のつかむ風の萩


鶯のさも念比に初音かな


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