蕉 門

井上元翠

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豊前大橋の人。

 元禄11年(1698年)6月2日、各務支考は元翠亭を訪れる。朱拙は黒崎から大橋に支考を訪ね、豊後玖珠まで支考に随行。

この日、元翠亭にいたる。此おのこは、おかしきおのこにて、人に面をかざらねば、心又物にかゝはらず。その夜いねたりけるまくらのあなたにて、明日さらば何をかもてなさむといへるに、何もかまへたる事侍らずと、こたふる聲のひきいりてきこえたるは、げにこの人の妻なるべし。我さらに美好の味をもとめねども、竹の子は已に過て瓜・茄子はいまだきたらず、今ぞ心ぼそき世なりける。

   竹の子や茄子はいまだ痩法師


 宝永2年(1705年)3月、魯九は長崎に旅立つ。途上、元翠亭を訪れている。

   豊前 大橋 元翠亭

麦かちの哥に遊ふやすたれ越
 魯九

       柳甫亭

鷄も日和まちてや桐の花
 仝

麦青く卯の花白し段の浦
 苅田や加助
 元翠

手枕に寐られぬ空や麦の秋
 嶋や市右ヱ門
 柳甫


安楽寺跡の墓地に「枯野塚」がある。


宝永年間(1704―11年)、井上元翠の建立といわれるそうだ。

 『諸国翁墳記』に「枯野塚 豊前大橋在 元翠建 馬ほくほく我を絵に見る枯野哉」とある。

元翠の句

   或女中より短尺給ひたるに

雪何と北の家陰の梅もはや


花のとき若草山は月夜哉


梶原が朝起憎し蝿の聲


青梅や塩と寝る夜の男住


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