俳 人

柏原瓦全
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五升庵蝶夢に師事。五升庵二世。

 寛政6年(1794年)、蝶夢は五升庵の号を瓦全に譲る。

 寛政7年(1796年)10月13日、瓦全は但馬の竹田に旅寝。

   但馬の竹田に旅寝し、法樹寺の花塚
   にて逮夜の会式をつとむ

夕しくれ爰に粟津の魂むかへ
   瓦全


 寛政7年(1796年)12月24日、蝶夢は64歳で没。

 寛政10年(1798年)、『蝶夢和尚文集』(瓦全編)刊。菊男跋。

 文化7年(1811年)9月、宮崎江平町の太田芳竹は猿蓑塚を建立。五升庵瓦全の筆。



 文化11年(1814年)11月、五升菴瓦全は阿弥陀寺に蝶夢幻阿の句碑を建立。



我寺の鐘とおもはず夕霞

文政8年(1825年)1月27日、没。

瓦全の句

手に折て見れは哀や帰り花


しくれ会や柿に蜜柑に山家集


相宿は世捨し人や小夜しくれ


枯原に白々とふるしくれ哉


小夜しくれおもふことなき友もかな


炉を中に座のさたまるや夕しくれ


鹿聞てながめられけり夜の山


月や日や花やむかしのしのはるゝ

『風羅念仏』(法会の巻)

鹿啼てながめられけり夜の山


楳の春かくす事なき空の色


   春の比諏訪の御社に詣けるに、御
   食所とみゆる所に、鹿の頭をなら
   べて備ふ。八ツの耳ふりたてゝと
   いふがごとく、見もなれぬ御食す
   さまじ。

よき人にこの比うとし年の暮


遊ふありいさかふもあり池の鴦


しくるゝや浮世の人の飲くらひ


もの知れる人にもうとし冬こもり


鹿鳴てなかめられけり夜の山


若草やいツれの花のこむらさき


贄の鹿背に霜ふりし夢やみし


  翁忌と宗祖会とおなし時日のいとわ
  りなくて、おのか齢もやゝかたふく
  に

枯尾花老みそなはせ斯はかり


日のもとのけふそ時雨の玉まつり


  肖像をまつり、香花をさゝけて

かき合すうら枯衣袖さむき


長き夜や膝に持るゝ鼻ばしら


きさらぎや老が世となる雲と水


葛の葉のうらみは尽てぼけの花


人しれぬ身はしづかなり朧月


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