俳 人

柳下斎風草
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三日町米問屋。獅子庵蓮二に俳諧を学ぶ。

 元禄5年(1692年)6月末、支考は柳下斎風草を訪ねている。

 享保11年(1726年)、魯九は北陸から陸奥へ旅立つ。鶴岡で越年。

 享保12年(1727年)、廬元坊は鶴岡の柳下斎風草を訪ねる。

 享保14年(1729年)、風草は東海上方行脚。『俳諧歌まくら』

 寛保2年(1742年)、佐久間柳居は風草を訪ねている。

   風草子の許をたつねて

卯の花に旅の黒みそ恥かしき
柳居

 夏をむねとも住かねし宿
風草


 寛延年間(1748〜1750)、吟里・壷中は立石寺に「せみ塚」を建立。



 延享4年(1747年)、横田柳几は風草を訪ねた。

   かねて慕はしき風草主人をたつねて旅笠をぬく

舞ふて来た羽織に涼し鶴か岡
柳几

   つかれも夏の旅馴し笠
風草


 宝暦元年(1751年)、記念集『蝉塚集』(吟里・壷中編)刊。柳下斎風草序。

 宝暦5年(1755年)4月14日、南嶺庵梅至は風草老人に会っている。

十四日鶴ヶ岡風艸老人に対す折節心地例ならさるよし

短夜やよし更すとも宵の月

寐時に伺ふ釣初の蚊屋
   風艸


 宝暦8年(1758年)8月12日、芭蕉行脚70年記念として菱華亭池青は念佛堂に芭蕉の句碑を建立。柳下斎風草書。



古池や蛙飛こむ水の音

 宝暦10年(1760年)、山形の俳人雨聲庵山皓は風草を訪ねている。

かねて文通に俳談の因みはむすび置し柳下斎雅翁の玉床下を窺ふ

夏来てもたのむ影ある柳かな
   山皓

 麓はずれな山ほととぎす
   風草


門下に林崎の坂部壺中、山形の雨聲庵山皓、上山の金子万嶽が出た。

風草の句

君がため麦とは読ず若菜哉


蓮の実や仏も盆は飛ふ心


名月に鳴りや静めて琵琶の海


琴の音に飽く日ハ松もしくれ哉


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